カシオ知財渉外部・部長にG-SHOCKの「立体商標」登録の紆余曲折を聞いてきたら思った以上に大変そうだった
今年の6月26日付で、G-SHOCKの立体商標が特許庁に登録(登録番号 第6711392号)されたという。それがどれほどスゴいことなのか、プロジェクトを主導したお二人に話を聞いてきた。
Text / Daisuke Suito(WATCHNAVI) Photo / Satoru Nakata
誕生40周年のG-SHOCKのブランディングに知財部からも貢献を!
–7月中旬にG-SHOCKが立体商標に登録されたとプレスリリースを配信されました。国内時計メーカーとしては初の快挙との見出しがありましたが、これは一体どれほど大変なことなのでしょうか?
松村さん:立体商標は、「登録した商標を見ただけであの会社の製品やサービスだ」と識別させる能力がある形状などのことです。この“識別力”というのが重要で、数ある腕時計のデザインの中からG-SHOCK初代モデルのフォルムを見ただけで、お客様が“G-SHOCK”と認知できなければまず登録できません。私たち知財部では、今年のG-SHOCK誕生40周年に間に合うよう2020年の秋からプロジェクトを本格的にスタートさせました。
–具体的にはどのようなことから着手したのでしょうか?
米倉さん:とにかくG-SHOCKの認知度を明らかにするための証拠を集めて周りました。WATCHNAVIさんのような様々な雑誌、新聞その他の特集記事などの紙資料は大きな段ボールで3箱分も揃えましたし、1980年代からの販売台数などの社内資料も提出しています。グッドデザイン賞などの受賞歴にコマーシャルまでありとあらゆる情報をかき集めましたね。時代をさかのぼるほど証拠が少なくなるため、営業、企画、広報、マーケ、デザインなど本当にたくさんの部署の方々に協力してもらいました。
松村さん:大切なことは40年の歴史を通じてマスターピースである初代モデルをカシオが作り続け、それを今も多くのお客様が認知いただいていること。それが決め手になったと思っています。40年の歴史を通じて、どの年代もまんべんなく証拠をそろえようとしました。さすがに40年前の資料を用意するのは苦労しましたが……。
合言葉は「できることは全部やろう!」
–2020年の秋から動き出して約2年半での登録は他の事例と比べて早いのでしょうか?
松村さん:立体商標は一般的な商標登録よりもハードルが高いんです。他の事例だと出願から登録まで2〜5年とかなり幅があったので、実はスタート時点から若干急いでいました。5年かかってしまうと40周年には間に合いませんし、かといって特許庁の方の判断を私たちはコントロールできませんからね。早期審査という制度こそ利用したものの、今年の6月時点で登録されて本当によかったと思っています。
米倉さん:知財部としては、マスターピースの立体商標の登録に挑戦したいという思いはずっとありました。それを松村さんがリードしていく形でプロジェクトが進んでいき、最初に審査にかけたのが2021年4月のことです。先ほどお伝えしたような資料に加え、商標系のエキスパートである弁理士の方に入ってもらい、商標の認知度調査に定評のあるアンケート調査会社に依頼してインターネットの全国アンケート調査も行いました。約1100人を対象にしたアンケートでは、ロゴや文字のないフォルムだけを見て自由選択回答が55%、複数選択回答が60%以上の方々がG-SHOCKだと認知する結果も出ました。
–そのような強力な証拠があっても2022年4月に拒絶されたという記録がありますね。
松村さん:これが時計の立体商標の難しいところでした。ロゴや文字を入れたらもっとハードルは下がったのですが、その状態であれば2005年に登録済み(注:現在は放棄しているとのこと)。当時に登録できなかったロゴや文字のない状態での再チャレンジにこそ意味があったのです。とはいえ、最初から「できることは全部やろう」を合い言葉に取り組んできたので、追加で提出できるような資料はほぼありませんでした。
米倉さん:アンケート調査について改めて資料の正当性を専門家の方に認めてもらうなど、最初の提出資料を補強して再審査に臨み、結果6月26日付で立体商標が登録されたのです。
いずれは海外での登録にもチャレンジしたい
–この登録により初代モデルのデザインが10年間守られるわけですね。
松村さん:立体商標は更新料を支払えば延長できるので、これはもう半永久的にG-SHOCKのデザインとして誰も真似できなくなります。
米倉さん:知財部の目的はマスターピースのデザインを通じてG-SHOCKのブランディングに貢献することでしたが、立体商標の登録により様々な方面への抑止力も生じてくると思います。
–今後、他のモデルでも立体商標の登録を目指すのでしょうか?
松村さん:今のところ検討はしていません。マスターピースは40年の歴史があって、その形状を6割以上の人がロゴや文字がなくてもG-SHOCKと認知できたことで登録が叶ったので、それと同じような識別力を持つモデルが今後あれば可能性はあります。それよりも、今回の登録は日本で効力を発揮する商標なので、海外でも同様の登録にチャレンジしていきたいとは思っています。ただ、これもかなりハードルは高いでしょうね。
それと、最後に少し話が逸れてしまいますが、社内の知財リテラシーの向上が課題だと思っていたので、プロジェクト初期の情報収集の段階から登録に至るまでの経緯で関わっていただいた人たちの意識は変わったと思います。やはり法的なことは敬遠されがちですし、事業戦略の一環としかみなされていなかったように感じていました。けれど、これからは知財部が能動的に働きかけて事業戦略と知財戦略の関係構築を促進していきたいですね。
取材後記
1996年の商標法改正で導入され、翌年から登録できるようになった立体商標は、その名の通り立体的な形状について商標を認めるもので、当時すでにアメリカやイギリス、フランス、ドイツ、カナダでは導入されていたそう。ロゴや商品名などの自他商品識別機能を認める平面商標とは異なり、立体商標は登録されると他社がその形態を使えなくなるため、登録のハードルが高くなるのだという。なぜ登録が難しくなるのかというと、たとえば「ドレスウオッチの規範だ」という時計好きの認知度を証拠にパテック フィリップのカラトラバの立体商標が認められたら、他社は半永久的にラウンドウオッチを作れないことになってしまう。もちろん実際にはそんな独占権が一社に認められるわけがなく、実際にラウンドウオッチなど星の数ほどある。その形態を見て誰もが共通のイメージを抱くものでなければ、立体商標の登録は不可能なのだ。
その高いハードルをG-SHOCKの初代モデルが超えた理由。それは40年に及ぶG-SHOCKの歴史の中で、ほぼ形態を変えることなく初代モデルの意匠を継承してきたカシオの企業姿勢に他ならない。事実、取材中にも初代モデルのことを、カシオの人々が“マスターピース”と呼ぶことにとても好感を持った(余談だが、今回の登録に向けて証拠を集めるときにはG-SHOCKの開発者である伊部菊雄氏にも協力してもらったそう)。他に立体商標が認められた例は、ホンダのスーパーカブやヤクルトの容器、キッコーマンのしょうゆ入り卓上びん、明治のきのこの山など、ひと目でそれとわかるアイコンばかり。これにG-SHOCKが加わるのは筆者からすれば必然なのだが、世間的な認知度の獲得に40年を要したのは驚きである。一方で、1983年から90年代のブームを経て2018年のメタル版オリジンの大ヒットなど、長らく売れ続けてきた実績が今回の立体商標の登録に繋がったことは言うまでもない。
立体商標の登録後、実際の苦労を知ってか知らずか、カシオ社内の他の部署から「うちの商品も登録してほしい」という声が松村さん、米倉さんに届くようになったという。「知的財産のことを話題にする人が増えたという点では社内の知財リテラシーは高まったと思います」(松村さん)。お二人とも、まさか私たちのような時計メディアから取材を受けるとは思っていなかったそうだ。その意味では、私たち取材した側の知財リテラシーも多少は向上したかもしれない。少なくとも、製品開発だけではなく、知的財産の観点から行うブランディング戦略があるという事実は、筆者にとって大きな気づきとなった。
特許庁/立体商標制度の導入:https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/kaisetu/sangyozaisan/document/sangyou_zaisanhou/h8_kaisei_5.pdf