ブライトリングの時計製造拠点「クロノメトリー」でキャリバーB19搭載コンプリケーションと感動の再会!【ブライトリング取材レポート】<3日目>
創業140周年を記念し、1年を通じてさまざまなアニバーサリーキャンペーンを展開してきたブライトリング。その大きな区切りとなるのが、2020年から5回目の開催となる「ジュネーブ・ウォッチ・デイズ」での新作発表だ。筆者は、全3日間にわたるブライトリングの取材プログラムに参加。最終日となる3日目は、時計製造拠点「クロノメトリー」ツアーに向けてラ・ショー・ド・フォンへと赴いた。
取材協力/ブライトリング
夢にまでみた「クロノメトリー」の内部へ初入場
いきなり個人的な話で恐縮だが、これまでWATCHNAVIでは幾度となく「クロノメトリー」の取材レポートを掲載してきた。だが、20年も編集部にいながら筆者が訪れるのは今回が初。この取材はいわば歴代WN編集長の登竜門であったが、2019年に編集長になってからコロナ禍に突入してしまい長らく機会を失してきたという事情もある。ともあれ、筆者にとってはどうしても訪れたかったファクトリーであり、ジュネーブ・ウォッチ・デイズの期間に晴れて念願が叶うこととなった。
ラ・ショー・ド・フォン駅からブライトリング手配の大型バスに乗り込み、一路クロノメトリーへ。過去に訪れたことのある様々なブランドの施設を横目に見ながら、改めて時計の街の暮らしに想いを馳せる。ちなみに行きはスムーズだが、帰りはかなり道が混むそうだ。その理由は、時計のファクトリーはどこも6時に始業し、15時が終業時間とのこと。そのため帰宅時間が重なり、とくにフランス側に向かう道が渋滞するのだという。かくして目的地に到着。出迎えてくれたのはファクトリーツアーの案内役で、昨日のサミットのムービーにも出演していたファブリス氏だった。
エントランスからは、何度も誌面に掲載してきたフロアの景色が広がる。このファクトリーに使われている航空写真は、すべて日本人の著名な航空写真家である徳永克彦氏が撮影したものだという説明をファブリス氏から受けた。手前の胸像は24歳でブライトリングを創業した創業者のレオン・ブライトリングだ。まず案内されたのは応接室。ここで簡単にファクトリーの概要説明を受ける。「ようこそお越しくださいました。この『クロノメトリー』では時計と、そしてチョコレートを作っています(笑)」(ファブリス氏)
インハウスウオッチの製造拠点にふさわしい場所として、時計作りの伝統が根付くラ・ショー・ド・フォンを選んだという理由や、現在はここに300名程度、グレンヘンにある本社には220名ほどの従業員がいることなどの説明を受ける。また、クロノメトリーはパーツを製造する建物とそれを組み立てる建物で構成されていることなども教えてもらった。そしていよいよ約1時間半でムーブメントの製造の過程を巡るツアーが始まる。
“ブライトリング・クロノメトリーツアー”はインハウスキャリバーのパーツ製造から開始
まずは2009年に増築された、パーツを製造する建物からスタート。ブライトリングジェットチームをモチーフにした等身大のフィギュアや、ル・コルビュジエが手がけたグランコンフォートソファ、ドイツ人アーティストが描いたペイントなどが置かれた吹き抜けのフロアからエレベーターに乗り込み、上階へ移動する。
最初に通されたのは、多くのマシンで埋め尽くされた、金属加工パート。これら地板などを加工するマシンはオイルを使わない最新鋭を揃え、24時間休むことなく稼働させているとのこと。真鍮製の板状パーツを極細のドリルを使って両面を削り出し、完了後はサンドブラスト仕上げを施す。さらにその上から酸化を防ぐための(おそらくロジウムの)ガルバニック加工を行うと、見慣れたシルバーのパーツとなるのだ。
加工精度のチェックにはレーザーマシンや最新のスキャンマシンによって100分の1mm単位で精密に管理。地板以外の板状パーツも同様のプロセスを経てここで作られていた。なお、摩耗や破損で使えなくなったドリルの刃は、廃棄せず製造元のDIXI社へ送り返すとのこと。刃1本の価格はおよそ100スイスフランで1本につき1週間程度で要交換というから、多くの機械をフル稼働させていれば、それだけで相当なランニングコストがかかっていることがわかる。
フロアを移動し、今度はパーツ洗浄の部門へ。ここでは化学薬品を使わないクリーニングを実施しており、代わりに水と自然由来の洗剤を用いるのだそう。そうしてパーツの汚れを落としたら乾燥機にかけ、水分由来の変質や劣化を防止。あとは組み立てを待つばかりとなる。驚いたのはマシンを使えない極小パーツの作業で、顕微鏡を覗きながら手作業で汚れを除去していくとのこと。「この仕事は技術も必要ですが、何より強靭な精神力が大切です。十分な光もとても重要なので自然光が射し込むこの部屋で、ときに風景を眺めて休めながら、彼女たちは作業に取り組んでいます」(ファブリス氏)
次に案内されたのは全パーツのクオリティチェックを行う部屋。ここで全品検査をしておかないと、5か月後ぐらい経って製造ラインに乗ったときに不具合を起こすといったリスクがあるため、なるべく早い段階で行う必要があるのだという。誤差の許容値は1000分の1mm単位で±3と超精密。次に案内された部屋では、ブライトリングのためにサプライヤーが特別に製造したパーツが用意されていた。それらを必要な数ぶんカウントするマシンもあるなど、微細パーツについても正確な管理が行われていた。これと同じぐらい小さいのが人工ルビーで片面はフラット、もう片面は曲面を持った注油面となる。石には大小様々なサイズがあり、品質管理を行いながらサイズを揃えて一つのプレートに仕分けていく。筆者は手作業での仕分けに挑戦したのだが、フラットな面を上にしながらプレートに置いていくのはかなり細かい作業で、正直これだけでも神経がすり減った。
100%クロノメーター化の拠点として2001年から続く建物へ移動
ここまでで取材は折り返し地点。次はいよいよマニュファクチュールキャリバー01の組み立てを行う建物へと進む。アクリルで固められた展開模型には、キャリバー01を構成する全346パーツが収まっており、これらを組み立てるのが今から訪れる場所ということで胸が高鳴る。
組み立てラインはメインプレートから始まり、ベルトコンベア式に組み立てが行われていく。「まるで日本のスシライン(注:回転寿司)みたいでしょう(笑)」(ファブリス氏)。段階的に必要なパーツをメインプレートに組み立てては、油を指し、チェックを行うという工程が長い製造ラインの中で繰り返される。なお、これはある程度の本数を作るブランドでは主流だが、クロノメトリーでは人の手をかけるパートが他社よりも多いように感じた。
このラインの最終工程はもちろん精度チェック。6姿勢での精度チェックを行い、COSC認定を受ける規準を満たす精度を確認。規準外のものは再調整となる。自らに課した難題「100%クロノメーター」の実現は、もはや製造ラインの一部に組み込むほどブライトリングにとって当たり前となっていたわけだ。この工程はきっと他社にとって驚異的に思えることだろう。
最後に訪れたのは精度チェックをパスしたキャリバーに最終的な組み立てを行っていくフロア。ここで針とダイアルを取り付け、ケーシングを行い製品となっていくわけだ。ちなみにここは「未発表の新作があるため」撮影禁止と伝えられていたが、唯一撮影された完成品がある。それが前日に発表されたばかりの「スーパークロノマット B19 44 パーペチュアルカレンダー 140周年アニバーサリー」だった。
と、この時計を眺めつつ横に並んでいる時計を見ると、確かにまだ見たことのない時計が……(後日発表されたアイスブルーMOPダイアルの「ナビタイマー B01 クロノグラフ 41 ジャパン エディション」でした)。いったいどんな時計が出てくるのかは、今後の発表を楽しみに待っていていただきたい。という感じでケーシングを終えた時計は3日間の自社検品を終えたあとはストラップの取り付けなどが行われ、世界各地へと出荷されていく。
ファクトリーをひと通り巡ったあとは、ブティックさながらのしつらえがなされたバーカウンター併設の特別ルームへと通してもらった。室内にはヘリテージモデルから最新作のブライトリングウオッチが展示されているほか、購入に条件が必要な特殊モデル「エマージェンシー」もあり、ここにきてさらに気分が盛り上がる。救難信号を発信するこのタイムピースを眺めつつ、クロノメトリーに入るなり目に飛び込んできた徳永氏の写真を思い出す。そして、改めて筆者が時計編集者として関わり始めた頃のブライトリングにあった「パイロットウオッチ」「クロノグラフ」のイメージを脳内で反芻しながら、若かりし自分を思い出すこととなった。
エピローグ:ファクトリーツアーと3日間の取材を終えて
ファクトリーツアーの最後は、築数百年というファームハウスにてランチをいただくことに。伸びやかなアルプホルンの響きに迎えられ、火の粉をあげる薪を横目にアブサンを伝統的な飲み方でいただく。まるで数世紀前からラ・ショー・ド・フォンに根付いていた農家になった気分で窓枠に目を向けると、「農家の人々は雪深い冬がやってくると、窓辺で時計作りをしていたんですよ。木の傷跡には当時の名残もあります。夏は農業や畜産をし、冬は時計作りを行う。今の時計師は農業はせず時計だけを作りますけどね」(ファブリス氏)。
精度や耐久性、多機能化など、機械式時計は基本原理をそのままに進化を続けている。一方、その時計作りの伝統を未来へ繋げるには、製造体制においても時代にあった体制を敷く必要がある。今回訪れたクロノメトリーにおいては不良品があっても廃棄せず、リサイクルする体制を徹底。パーツの切削などにオイルではなく水を使うなどの設備が整っていた。企業としての取り組みでも、ビーチクリーンや植樹の活動、アップサイクルされたウォッチボックスの開発、ラボグロウンダイヤモンドの使用といった、サステナブルな時計製造の対象は広範囲に及んでいる。
1884年にレオン・ブライトリングが創業し、その後3代にわたり創業一族による経営からシュナイダー家へ。そしてジョージ・カーンCEOの時代となって迎えた創業140周年の節目。これほど長い時代を単独ブランドとして在り続けていることは、時計界でも極めて稀である。このように孤高の存在であるからこそ可能な旺盛な開発意欲と、それを実現するスピード感もまたブライトリングの大きな魅力だ。年間通じてさまざまな話題を振り撒いてきたブライトリングのアニバーサリーイヤーキャンペーンだが、まだまだ年末に向けて何かがありそうな予感がする。どのような情報が明かされるのか、ブライトリングの次なる一手を楽しみにしながら、筆者はラ・ショー・ド・フォンを後にした。
Text/Daisuke Suito (WATCHNAVI)