五輪ゴールドメダリスト・四十住さくら選手(スケートボード 女子パーク)がサポートを受ける出身地・和歌山の時計店【oomiya】に結果報告のため来店

およそ一カ月前にフィナーレを迎えた東京五輪は、日本代表選手が活躍してメダリストが続出したことや、世界最高レベルのアスリートたちによる競い合い、さらには大会運営に関わってくれた方々の尽力もあり、コロナ禍にありながら世界を感動で包む歴史的な大会となった。

先日お伝えした、五輪ゴールドメダリスト・四十住さくら選手(スケートボード 女子パーク)と地元・和歌山の時計店【oomiya】の絆では、一気に注目を集める競技になったスケボーと四十住選手の出会い、そのバックで彼女を支えている家族やスポンサードしているoomiyaについてレポートした。今回は栄光を掴んだ彼女がoomiya 和歌山本店へと結果報告に来店したとのことで、そのときの様子について代表取締役の出水孝典氏に話しをうかがった。

oomiya 和歌山本店のスタッフたちとの一枚。スタッフが着用しているカラーマスクは、四十住選手が手作りで制作し、プレゼントしてくれたもの

自分らしいスケートボードを貫いて次のパリ五輪へ

 

東京五輪の閉会後も、メディアへの出演やスポンサー開催のイベントへの出席など、四十住選手はほとんど休息がない“ひっぱりダコ”の状況だったと聞く。開 心那選手(同2位)と岡本 碧優選手(同4位)にも同様のことが言えるが、日本の10代がここまで世界を席巻したという記憶は近年ない。それだけセンセーショナルだったことの表れでもあるが、四十住選手にとって初めての経験が多かった。とても疲れているに違いない、そう出水氏は考えていたという。

(出水氏)「8月24日、彼女は金メダルを獲ったときと同じ笑顔で報告に来てくれました。疲れていたのでしょうが、前日は自宅で過ごすことができたということでリラックスしていましたね。遠慮したのですが私の首に金メダルをかけてくれて(笑) スタッフたちと一緒に写真撮影するなど、とても楽しいひと時でした」

凱旋した四十住選手に対して出水氏が最初にかけた言葉は、五輪へ送り出す際にかけた —— 選ばれたアスリートだけが出場できる世界一のステージを、とにかく思いっきり楽しんで来て!! —— の“答え合わせ”だった。

「最高に楽しかった。そう答えてくれました。サポートしてきた我々にとって何よりも嬉しい言葉です。努力という言葉では言い表せない、血が滲むような練習を重ねてきたことを知っていますし、応援してくれているみんなのためにも頑張ろうとする性格もわかっています。メダル獲得は最高ですがあくまでも結果であり、まず第一に五輪という舞台を楽しんでほしかった」

多くの人々が「金メダルおめでとう」と声をかけるのに対し、優勝のことよりも先に「楽しかったか?」と尋ねた出水氏。その第一声を四十住選手は予想していた様子で、こぼれるような笑みを見せながら答えたという。この心が通じ合う間柄は、4年前から続くものだ。

右・四十住さくら選手 左・oomiya代表取締役の出水孝典氏

 

その後、四十住選手は県知事や地元支援者への報告などを済ませ、アメリカへと旅立った。次回、2024年開催予定のパリ五輪でも世界の頂点に立つために。

「優勝後の記者会見でも話していましたが、彼女は次のパリ大会でも金メダルを目指しています。その自信は絶対的な練習量があってのもの。だからこそ、すぐにでもトレーニングを開始したかったのでしょう。五輪後はスケボーができない期間が続き、早く自由に乗りたいと言っていました。誰よりもスケートボードが好きなのです」

oomiyaが四十住選手を支援するきっかけになったのは、“地元・和歌山で頑張っている若者をサポートしよう”という出水氏のアイデアだった。彼女の夢はパリへと続くとともに、後進のために道を開く活動にも意欲を示している。

「今大会でスケボーに対するイメージを変えて、子供たちが身近に楽しむメジャースポーツにしたいとも言っていました。そのきっかけを彼女はつくってくれた。スケボーへの理解や環境の整備など、まだまだ必要なことがたくさんあります。そんな彼女をこれからも応援していきたい」

世界No.1に輝いても、歩みを止めない四十住選手。そのチャレンジをサポートする生まれ故郷・和歌山の時計店との物語は、3年後のパリ五輪へ向けてすでに動き始めている。

 

写真提供/oomiya ※撮影時のみマスクを外しています。

Text/WATCHNAVI編集部