一流を、一流たらしめるもの【並木浩一の時計文化論】

時計評論家・並木浩一氏が、腕時計が持つ様々な文化的意義を明かす人気シリーズ。今回は、時計の「基本(BASE)」から見る”一流の在り方”について考察してもらいました。

うまい鮨屋は、必ずカッパ巻きもうまい。
一流は決して手を抜かないから、一流の存在たり得るのです。

2018年1月15日~19日に開催されたSIHHで目立った動きの一つが「エントリーモデル」の拡充でした。今回はその点について考えてみます。

これらのモデルを英語圏のジャーナリズムでは「アクセシブル・プロダクツ」ということが多いように見えます。
近づきやすい、手に入れやすい製品ということですね。マーケティング的な視点で見れば、価格設定のレンジを抑えて新しい顧客を呼び起こそうという戦略なわけで、端的にストレートな表現です。

腕時計の初心者ファンならず、すでに腕時計の虜になっている方も捉えてしまいそうなプロダクツには、本誌読者の皆さんも
思わず手が伸びるでしょう。いままで買ったことがないブランドでも欲しくなるという意味で、「アクセシブル」には誘引力抜群のモデルが揃っています。

エントリーというよりは、玄人好きのする通向けのモデル群にも思える、新カテゴリー。もっとフィットして聞こえる呼び
方は、パネライが以前から一部の2針モデルに使っている「ベース」かもしれません。”BASE”はフランス語でも「バーズ」
と読む、英仏語で同じ綴りの便利な言葉ですから、採用されたのでしょうか。

フランス語のバーズには英語のベースと同様、「基礎」とか「基本」の意味があります。たとえば学校のクラスでも、バーズ、アンテルメディエール、スュペリユールの順で上級に進むような設定になっていることが多く、学校言葉として耳馴染みのある表現なのです。

つまりは誰にとっても、「基本のキ」。ここから入るのが正しい、というイメージが共有される言葉です。どのブランドにも、中核となる標準の定番モデル=スタンダードと呼ばれる看板モデルがあります。

一方ベースは、基本という「あり方」の定義ですから、コレクションやシリーズを問わずに設定できます。
極論すればコンプリケーションのベース、というものもあってよいわけで、最近多く見かけるSS製の複雑モデルなどにも、
そのような意志が感じられます。

つまりは価格の問題以上に、そのブランドの実力や姿勢を伝えたいという心意気のようなものが、色濃く反映するのです。
分野違いの経験則ですが、うまい鮨屋は、必ずカッパ巻きもうまい。

キュウリつながりでいえば、一流ホテルの供するアフタヌーンティも絶対にキュウリのサンドイッチが美味しいのです。
一流は決して手を抜かないから一流の存在たり得るのであって、そういう倫理を持たない者は要らない。腕時計の世界は、昔から変わりません。揺るがない歴史と伝統、そして文化。”BASE”には「土台」の意味もあることが思い出されます。

リシュモン グループを中心とした高級時計ブランドの新作発表イベント、SIHH(通称ジュネーブサロン)。2018年1月15日~1月19日に開催された。

並木浩一
桐蔭横浜大学教授、博士(学術)、京都造形芸術大学大学院博士課程修了。
著書『男はなぜ腕時計にこだわるのか』(講談社)、『腕時計一生もの』(光文社)、近著に『腕時計のこだわり』(ソフトバンク新書)がある。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・学習院さくらアカデミーでは、一般受講可能な時計の文化論講座を講義する。