オリジナルの状態を残したオメガ「スピードマスターST145.012」キャリバー321を搭載した最後のモデルがフィリップス オークションに出品決定で最高額を再び更新しそうな予感

有名オークションハウスの「フィリップス」が、12月12日にニューヨークでオークションを行う。そこで出品されるウオッチのなかでも、とくに注目したいのがオメガのスピードマスター 「ST145.012」だ。つい先日も同オークションハウスがジュネーブで開催したオークションに出品された「スピードマスター CK2915-1」が予想落札価格8万〜12万スイスフランを大幅に上回り、オメガ史上最高額となる311万5500スイスフラン(日本円で約3億9000万円)で落札されたばかり。今回の出品の予想落札価格は、9300〜1万8500スイスフランとなっているが、前例の通り大幅に上回る可能性が高い。

予想落札価格を上回るという見立ての根拠

12月12日にニューヨークのフィリップスオークションに出品される「オメガ スピードマスター 145.012-67 SP」

いま資産価値として腕時計がブームになっている。将来的にも価値が続くであろうブランドやロングセラーウオッチの人気には拍車がかかるばかり。正規品では数百万円の時計が数年待っても購入できるかどうかというほどの時計が複数あり、並行輸入品や2次流通市場に目を向ければそれら人気モデルの高騰が続く。このような状況はオークションでも起こっており、先述したCK2915-1の予想落札価格を大幅に上回る結果にも現れている。いまも人気のロングセラーモデルは、オークションでも人気なのだ。

ただ数が少ないだけなら1本しか作られていない珍しいモデルが軒並み高騰するのかというと、実はいまの状況についてはその通り。11月初旬にオークションハウスのクリスティーズが開催したオンリーウオッチチャリティーオークションでは、全53出品のうち予想落札価格を上回る高額落札が続出。パテック フィリップの950万スイスフランを筆頭に、F.P. ジュルヌ、オーデマ ピゲ、リシャール・ミル、ドゥ べトゥーン×ヴティライネンの出品が日本円で1億円以上の価格で落札されたほか、4モデル以外は予想落札価格を超えるという異常事態となったのだ。

では、こうした「数の希少性」でいま時計愛好家が最も求めているものがなにかというと、「時計の状態」である。以前に筆者が老舗オークションハウスのボナムスのスペシャリストに話を伺ったところでは、「オリジナルの状態が保たれていることが重要」だという。ケースならば一回でも研磨された履歴があるだけで、まったく見積もりが変わってくるそうだ。腕時計が観賞用に作られることはほとんどないので、大切に扱う人ほどケアやメンテナンスを実施するだろう。いまなら「コンプリートサービス」といって、オーバーホールを依頼するとケース研磨などもセットで実施するブランドもあるため、美しい輝きを取り戻すこと自体はなにも悪いことではないし、自分で大切に使うものをきれいに保ちたいのは当然の心理でもある。

一方で、銀座にある時計修理工房テクノスイスの山田喜久男さんは、オーダーされない限りポリッシュはしないという。その理由は「素材が痩せてしまう」から。ケースを削れば当然、素材の厚みは薄くなる。ヴィンテージウオッチのなかには、研磨されすぎて原型を留めていないほどラグが細くなった個体をみかけることも多い。そのような状態にしていくの避けたいので、あまりおすすめしないというのが山田さんの主張だ。

というわけで、ヴィンテージ品の最高の状態といえば、新品未使用のデッドストック品となる。これは時計に限ったことではない。だが、腕時計は使うことが前提になっており、デッドストックが発見されるのはごく稀。だから、その次に貴重な状態といえるのが、研磨や文字盤の修復などがなく、オリジナルの状態を保ったモデルというわけだ。

くどくどと述べたが、これからニューヨークで開催されるオークションに出る「スピードマスター ST145.012」は、まさしくオリジナルの状態を保ったもの。最初の所有者はアメリカの小説家で1952年に出版された小説「見えない人間」がいまなお読み継がれるベストセラーとなったラルフ・エリソン。スピードマスターST145.012を1968年ごろから愛用していた記録が残っており、その後25年にわたりずっと愛用していたと言われている。この時計はエリソンの妻が亡くなって財産処理が終わり、2016年のロング・アイランド・シティの小さなオークションハウスで販売されたという。落札したのは、今回の委託人。彼が求めていたものこそ「すべてがオリジナルであるリファレンス」だったのだ。

 

1968年の夏の初めのラルフ・エリソン。その腕にはすでにスピードマスターがあった。
来歴の決め手になった保険証のコピー。
葉巻をくゆらす晩年のラルフ・エリソン。左手首にスピードマスターが確認できる。

その後、この委託人は時計の正しい来歴の証拠を突き止められたことで、今回の出品に至ったのだろう。素人目には使い込まれたスピードマスターという程度かもしれないが、ダイアルの経年変化もわずかで、発光素材もオリジナルのトリチウムがかなり残存している。針やベゼル、板巻きブレスレットも完全にオリジナル。そして極め付けが伝説的なキャリバー321の搭載。ST145.012はこのキャリバーを搭載した最後のモデルであることも、この時計の希少性を飛躍的に高めている。

エリソンが愛用していたスピードマスターは、クロノグラフのプッシャーが紛失していたが、今回の出品に際して時代的に正しいものを取り付け、耐水性を確保するためのガスケットとクリスタルを交換(オリジナルも付属)。そして、ムーブメントをクリーニングして調整した以外は、すべてオークションハウスから購入した状態、つまりエリソンが25年にわたって着用してきたものとほぼ同じ状態だといえる。

このような来歴を持つ時計に対し、世界の時計コレクターがどのような競り合いを見せるのか。いまの時計ブーム、時計の正統性、オリジナル状態を鑑みるに、予想落札価格の数十倍の落札価格になる可能性は極めて高そうだ。