タグ・ホイヤーに加わった「複雑時計の女王」キャロル・カザピ氏に聞く「ニューノーマル」戦略という新しいステージ

時計メディアに携わること20年以上の筆者にとって、どうしてもインタビューをしてみたかった人物の一人が、現在のタグ・ホイヤー ムーブメント・ディレクター、キャロル・フォレスティエ・カザピ氏だ。「複雑時計の女王」とまで呼ばれる彼女が来日するとの情報を聞きつけ、たまらず取材をオファー。現職に就いた理由から、現在取り組んでいること、そして今後の展望まで広範に話を聞いた。

タグ・ホイヤーへの入社を決定づけた“新たな挑戦”

–タグ・ホイヤーにあなたが加わったニュースにとても驚きました。5年前の決断にはどのような背景があったのでしょうか?

カザピ氏:理由はいくつかありますが、一番大きかったのは、フレデリック・アルノー氏(現ロロ・ピアーナ CEO)から声がかかったことですね。彼から提示されたかなりチャレンジングな課題をぜひとも自分の手でやってみたかったんです。加えて、同じ時計といっても前職はジュエリーブランドだったので、タグ・ホイヤーを通じてまったく違う世界を経験できる未来がとても面白そうに思いました。

インタビューはタグ・ホイヤーのイベント会場となった都内某所のホテルの一室で行われた。写真提供:タグ・ホイヤー

–アルノー氏から提示された課題のひとつが、2023年にオンリーウオッチ用に発表されたスプリットセコンド クロノグラフなのかな、と推察します。入社した当時はCOVID-19によるパンデミックの最中。こうしたコンプリケーションの開発をはじめ、なかなか仕事が思うように進まなかったのではないかとお察しします。

カザピ氏:スプリットセコンド クロノグラフはとてもスポーツと相性が良いものですから、開発するのは自然の流れでした。スポーティでありながらテクニカルな魅力も楽しめる設計ができることも、タグ・ホイヤーに入った大きな理由と言えるでしょう。ただ、おっしゃる通り、入社してしばらくは画面越しでしか同僚に会えない状況が長く続き、とても難しかったですね。

–ムーブメント・ディレクターという肩書きですが、実際はどのような仕事に取り組んでいるのでしょうか?

カザピ氏:新しいムーブメントの開発設計もそうですが、主な私の役割はムーブメントの開発戦略になります。経営陣の考えていることに私が裏付けを行い、それを具体的なタイムピースへと落とし込んでいく。そのようなことを5年間続けています。

NEW NORMALというムーブメントの開発戦略

–開発戦略について、具体的に教えていただいても良いでしょうか?

カザピ氏:そう聞かれると思って用意していましたよ(笑)。これが私の考えているムーブメントの開発戦略で、「NEW NORMAL」と呼んでいます。いま現在のムーブメントに期待されていること、現代のノーマルについて考えたことです。いまのムーブメントには、パワーリザーブの長さ、頑丈さ、そしてクオリティとパフォーマンスの高さが期待されており、私たちはすべてのレンジにおいてこうした期待に応えるムーブメントを展開していきます。

–とても興味深いですね。モデルごとの違いや戦略について、詳しく聞かせてください。

カザピ氏:タグ・ホイヤーのモデルをピラミッドの階層に分けると一番下はクオーツですね。これを今後ソーラー駆動にしていきます。新作のフォーミュラ1になぜソーラームーブメントを搭載したのかよく聞かれるのですが、この戦略が理由なんです。そしてその上の階層には、3針自動巻きムーブメントが来て、さらに上に自社製クロノグラフとなります。頂点はアヴァンギャルドオルロジュリー、私たちのサヴォワフェールを最も発揮するパートですね。

–ソーラームーブメントはラ・ジュー・ペレ製で、3針自動巻ムーブメントはケニッシやAMTと、NEW NORMALのムーブメント戦略にはサプライヤーとの関係も重要ですね。

カザピ氏:最良の戦略を立てるには、それにふさわしいパートナーの存在が欠かせないと思っています。たとえばラ・ジュー・ペレのソーラーには、50年以上にわたる研究開発と膨大な特許を持つシチズンの技術が反映されています。そして、現在のトップが元々ETA社でクオーツの生産の責任者だったジャン-クロード・エゲン氏ですから、スイス製ソーラークオーツでこれ以上頼りになる会社はありません。

–AMTについては最近になって名前をよく聞くようになりましたが、まだ私は実態がいまいち掴めていません。いったいどのような会社なのでしょうか?

カザピ氏:AMTは、私たちのマニュファクチュールからわずか2kmほど離れたところにファクトリーがあります。ムーブメントメーカーのセリタのグループに属していますが独立した存在ですね。たとえるならメルセデスとAMGのような関係に近いと思います。セリタの中でもオートオルロジュリーに特化しており、先ほどのラ・ジュー・ペレにも言えることですが、私たちのニーズに応じて、特別に提供してくれるサプライヤーですね。

–先ほどのピラミッドの話に戻りますが、このAMTの上にいよいよ自動巻きクロノグラフのステージがあります。ここで初めて自社製を置くことにした理由を教えてください。

カザピ氏:私たちはマニュファクチュールの名のもとに一貫製造をするパートを残していく必要がありますし、なによりクロノグラフは私たちの歴史的なサヴォワフェールですからね。また、自社製造を続けることでサプライヤーにも意見できますし、チャレンジングな要求を求めることもできます。「ここはもっとこうできるでしょう」とかね。NEW NORMALとは、そうしたやりとりまで考慮したうえでの「戦略」なんですよ。

サプライヤーとの協業によるムーブメントであってもオリエンテーションからプロダクトテストまで、カザピ氏が深く関わっているという

NEW NORMALはユーザーの期待値により更新され続ける

–あなたのお話は極めて明快ですね。では、このNEW NORMALの構築は、いつ頃に完成する見込みなのでしょうか?

カザピ氏:NEW NORMALとは“新しい基準”ともいえます。これは時代とともに更新されていくため、完成することはないでしょう。そもそも“新しい基準”というのは、ユーザーの皆さんからの期待値から生まれるものですし、それらはずっと進化し続けていきますからね。だから私たちは現在、全体の底上げ、地固めを行っていくことが大事だと考えています。

–そういえば、THが付くキャリバーナンバーをタグ・ホイヤーが使うようになったのはあなたが入社されて以降でしたね。このナンバリングにはなにか意味がありますか?

カザピ氏:もちろんです。私のやることにはすべて意味がありますから。最初の数字はレンジを表していて、クオーツは5、3針モデルは3、クロノグラフは2、オートオルロジュリーは8となっています。その隣の数字はムーブメントのファミリーで、ハイフンを挟んで機能を示す数字がつきます。3針のTH30系では、日付だけなら01、デイデイトなら02、GMTなら03。クロノグラフのTH20系では、通常のクロノグラフが00、クロノスプリントが08で、トゥールビヨンは09となります。

インタビュー当日、カザピ氏は昨年末に発表された「タグ・ホイヤー モナコ クロノグラフ」を着用していた

–同じ3針ベースムーブメントでもTH30はケニッシ、TH31はAMTでムーブメントの製造を行っているのも数字に反映されているということですね。

カザピ氏:このナンバリングについて、実は私たちのマニュファクチュールの近所でちょっと不思議なことが起こっていて私も戸惑っているんですけどね……(苦笑)。ただ、間違いなく私が考えたことですし、先ほどお伝えした通り戦略に基づいた合理性もあります。

–透明性はいまの時代において、とても大切だと思います。

カザピ氏:「時計の価格が上がった」という声も聞くことがありますが、それは当然のことで、いままさに私たちは全体のクオリティを押し上げているわけですよ。それにもちろんムーブメントの価格も上がっています。そうした要素を全て反映した結果、現在の価格になっているのです。なにも不誠実なことはしていません。

–適正価格を保ち続けているというわけですね。そういえば、先ほどNEW NORMALの戦略をお聞きした中で、オートオルロジュリーの部分だけ詳しくお話しを聞くことができませんでした。あなたが入ったことですし、個人的にはベルト駆動のモナコ V4と肩を並べるような革新的なモデルを期待しています。

カザピ氏:もうすでに答えをお持ちじゃないですか(笑)。もちろん考えていますよ。だって、私たちはタグ・ホイヤー、もっともアヴァンギャルドなブランドなんですから。

タグ・ホイヤーのムーブメント・ディレクター、キャロル・フォレスティエ・カザピ氏。時計職人一家で育ち、時計製造の学位を取得後、設計の道へ。進み複数の有名企業でキャリアを積み、1997年にブレゲ賞、2012年にジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ、2021年にガイア賞を受賞。2020年3月よりタグ・ホイヤーに入社し、現職に就任

インタビュー後記

念願叶った「複雑時計の女王」の異名を持つカザピ氏へのインタビューは、期待以上にエキサイティングな内容だった。終始、彼女がタグ・ホイヤーに入ったことを心から楽しんでいることが伝わり、戦略の内容も非常にわかりやすい。これならばタグ・ホイヤーのどの職種の人であっても、今後のブランドの方向性についてすぐに理解することだろう。そして彼女はどこまでも未来志向であり、筆者も話を聞いているうちに思わずワクワクしていた。

インタビュー後の雑談で、「あなたが一番好きなタグ・ホイヤーの時計は?」と聞いたところ、「その質問は『自分の子供の中で誰が一番かわいいか』を聞いているようなものよ(笑)」という返事のあと、「強いていうなら『次の作品』がベストなものになるでしょうね」と答えてくれたカザピ氏。彼女の考えるNEW NORMAL戦略の続きがいまから楽しみでならない。

タグ・ホイヤー最新タイムピース

キャロル・カザピ氏がヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエ社とともに手掛けたスプリットセコンドクロノグラフキャリバー TH81-00を、角形レーシングウオッチ不朽の名作「タグ・ホイヤー モナコ」に搭載したオートオルロジュリーの最新作。

ケース素材の「TH-チタン」は、社内研究開発機関「タグ・ホイヤー ラボ」主導により4年がかりで開発。金属を原子レベルで変容させることで隠れた構造を顕在化した独特の模様は、ひとつとして同じものが存在しない。タグ・ホイヤーは、もともとの高い強度、耐食性、エネルギー保持特性を備え、極めて過酷な条件での使用前提とした特殊なチタン合金に対し、さらに合金の分子構造を再編成する専用の熱処理工程の開発により特別な表情を持つ外装を実現したという。

キャリバーTH81-00はチタン製で重さ30gに抑えられており、ストラップまで含む総重量でもわずか86gという超軽量タイムピースに仕上げている。

「タグ・ホイヤー モナコ スプリットセコンド クロノグラフ」Ref.CBW2185.FC8350 2084万5000円 自動巻き(キャリバーTH81-00)、毎時3万6000振動、約65時間パワーリザーブ(クロノグラフOFF時)。TH-チタンケース(シースルーバック)。縦横41mm。カーフストラップ。30m防水

問い合わせ先:LVMHウォッチ・ジュエリー ジャパン タグ・ホイヤー TEL.03-5635-7030 https://www.tagheuer.com ※価格は記事公開時点の税込価格です。限定モデルは完売の可能性があります。

TEXT/Daisuke Suito (WATCHNAVI) PHOTO/Katsunori Kishida

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