ピエール-ジャケ・ドロー(1721年-1790年)は、1738年に故郷のラ・ショー・ド・フォンで自身初の時計工房を創設。晩年はロンドン、ジュネーブにも時計工房を開設し、時計製作に没頭しました。当時の世界の王侯貴族から寵愛を受けた時計界の偉人について、詳しく紹介します。
ズバ抜けた技術力によって名声を得た伝説的な時計師
18世紀のヨーロッパで流行していたオートマタ(機械式からくり)の製作において、圧倒的な技術力と装飾技法を確立したことで名声を得た時計師、それがピエール-ジャケ・ドローです。複雑な機構やムーブを完璧に操ることで、シンギングバードやミュージカルウオッチといった芸術作品を作り続け、スペイン王室御用達時計師の地位を獲得しました。1775年製の「文筆家」は600個の部品で構成された自動人形で、タイプライターで打ち込むように文章を綴ることができました。これは彼が幼少期から教育した二人の息子が手がけた「音楽家」「画家」とともに傑作と称され、現在でもスイスの美術歴史博物館で見ることができます。
現在、ジャケ・ドローの遺志を継ぎ、スイスを代表するマニュファクチュールブランドとして同名の「ジャケ・ドロー」が存在します。2019年は新作として、鯉をモチーフにしたオートマタウオッチ「マジック・ロータス・オートマトン」や、フルスケルトンのテクニカルモデル「グラン・セコンド スケルトン セラミック」など、伝統と技術を駆使した類まれなタイムピースを発表しています。
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