1、あるいは9からカウントアップ(ダウン)し、ゼロを示す代わりに暗転。再びカウントアップ(ダウン)を行う様々な作品を、現代美術家の宮島達男さんは四半世紀以上にわたり手がけてきた。そして、ブルガリは言わずと知れたイタリア・ローマ発祥の世界的ラグジュアリーブランドである。この両者が手を組み、3本の腕時計を制作した。この作品制作の経緯について、宮島さんに話を聞いた。
TEXT/Daisuke Suito(WATCHNAVI) Photo/Masanori Yamaguchi
「無限の可能性」を表現するチャレンジ
水藤WN編集長(以下、水藤):まず、ブルガリからオファーがきたときの率直な感想をお聞かせください。
宮島達男さん(以下、宮島さん):僕の友人であるアニッシュ・カプーア(注:現代彫刻家)など、ブルガリが様々なアーティストと共同制作していることは知っていました。彼らと作り上げた作品の出来栄えも存じ上げていますし、アートにとても造詣の深いブルガリなら大丈夫だろうと、迷うことなく仕事を引き受けました。
水藤:宮島さんは、7セグメントのデジタル数字をLEDで表示する「カウンターガジェット」を使った作品が代名詞となっています。それら装置を使った作品にはゼロがなく、カウントはするけれども、その速度はまちまちで、正しく時を刻むものではありませんよね。一方、今回のオクトは機械仕掛けで正確に時を刻む機能が備わっており、宮島さんの作品のコンセプトとは相違があるように思えました。その点、ご自身はどのようなお考えですか?
宮島さん:LEDを使った創作活動を行なっているためデジタル人間と思われがちですが、私自身はアナログなものが好きです。とくに3.11以降は予測不可能な事象が世界中にあることを再認識し、創作活動でも観る人とともにあるようなアナログ的なアプローチを強く打ち出すようにしています。つい最近の作品では油絵の数字を人間の手で変えていく、という仕事もしました。そういう背景もあって、今回のウオッチと7セグメントの数字のコラボも作品としてありだな、と思ったのです。しかも、オクトというのは8ですよね。7セグメントも8の字を描いていて、この8の字ですべての数字を表現できる。このコラボレーションでは、ある種の無限の可能性を表現できるのではないか。そう思ってチャレンジしました。
互いの信頼関係が生んだ新たな“作品”
水藤:共同制作するにあたって、ブルガリのデザイナーであるファブリツィオ・ボナマッサさんと何度か打ち合わせをされたと思います。実際にどのようなやりとりがあったかお聞かせください。
宮島さん:スイスの製造拠点やローマを拝見しながら打ち合わせるプランも当初はあったようですがコロナ禍でかなわず、オンラインミーティングだけで作業は進行しました。それでも、ファブリツィオさんが信頼に足る人物でしたから、不安を覚えることはありませんでしたね。彼は経験が豊富ですし、なにより自信があるので「なんでも言ってくれ」という。だから、コンセプトが決まったあとは、全部を彼に任せることにしました。結果、仕上がった時計を見たときに「自分の決断は正しかった」と思いました。たとえば、この8のフィニッシュワークは、ひと目見てびっくりしました。なにもしなくてよかったです(笑)。
水藤:本当になにもしなかったのですか!?
宮島さん:もちろんコンセプトと、数案のアイデアは出しましたよ。とくに「どういうアイデアでいくか」を決めることには時間をかけました。いくつかの案をもとに議論を重ね、ファブリツィオさんが「これだったら機能を損なうことなく取り入れられる」というところに落とし込んだのです。方向性さえ決まったら、後はプロダクトの専門家に任せた方が良い。コラボレーションには役割があると考えていて、今回なら私の方はコンセプトを決めるところまでで、ファブリツィオさんはそれを死に物狂いで完成させる、という役割。この両者の関係性を崩し越権行為をしたならば、動かない時計が出来上がるかもしれないし、逆に商業主義的な単なるプロダクトになった可能性だってありましたよね。
水藤:互いの信頼関係がなければ完成しなかったわけですね。では、もし仮に「カウンターガジェットの7セグメントのわずかな傾きを完全な90度の四角にして、シンメトリーにおきたい」と、ファブリツィオさんが申し出てきたら、どう対応していましたか。
宮島さん:それはNGを出したでしょうね。この傾きは試行錯誤の末にたどり着いた7.8度という角度。これを直角にすると、正方形が2つ並んだだけの図形になってしまう。私の作品に必要なのは「数字」で、その数字から広がる概念を表現し、伝えることなのです。
同じように、時計には「時刻を示す」という機能がありますよね。この機能を完璧に活かすためのディテールというのは、すでに決まっているものです。そこに、たとえわずかでもデザインの変更を加えるだけで、すべてが破綻することさえありえる世界。だからモノづくりに関しては、専門家に任せた方が良いという判断をしたわけです。
ブルガリの創業地のローマはモノづくりの街だと思っていますから、その街を代表するブランドのデザイナーなら安心して任せられるし、実際に期待以上の“作品”が出来上がってきたのでとても驚き、喜んでいます。
極薄時計で表現した「時間」「命」の無限性
水藤:今回の作品は、チタンとセラミックの120本限定モデルと、わずか3本のスペシャルピースという3型があります。それぞれ、どのような感想をお持ちですか?
宮島さん:まず、これらの時計は本当に薄いですよね。こんなサイズに機械式のムーブメントが入っているなんて思いもよらなかったですよ。しかも3本だけの時計は音まで鳴る。驚きました。この時計に、8の字を抜いて中のムーブメントを出したいという要望をだしたのですが、これほど美しいフィニッシュワークになるとは予想もしていませんでした。
120本限定の方は、当初、ミラー仕上げにするという話もあったのですが、機能面での配慮から色の差異で成立させる方向にシフトしています。完成品を見て、こちらの道を進んで良かったなと思っています。ブラックの方は、文字盤をグッと傾けると8の字が何も見えなくなるでしょう。数字が消えるんです。この状態って「ボイド」(注:英語で空虚、空っぽなどの意)、数字で言う「ゼロ」なんですよ。これが上手く表現できているし、反射の仕方によってさまざまな数字に見えてくる可能性を秘めている。時間の無限性、命の無限性を表現できたと思います。
水藤:まさしく宮島さんの作品ですね。
宮島さん:そうですね。ウオッチだけだったら私が関わる必要なんてないので(笑)、この表現ができたことで時計としての機能を崩すことなく、一方で「このモチーフはなんだろう?」という“わからなさ”も共存し、想像力の翼を広げてもらえるような仕上がりとなっています。この時計は身に着けるアートであり、物理的な時の1秒1秒を刻むさまを眺めながら、なおかつ無限の広がりに思いを馳せることもできる。時計の中にある小宇宙を、とてもバランス良く表現できた作品になりました。
着用することで想像力の翼が広がり現代美術を観る目を養う
水藤:ちなみに、世の中にはあえて想像力の翼を広げようとしない人もいて、見たまま、聞いたままに、「オクトで八角形だから8なのね」で作品鑑賞を終えてしまいそうです。そういった方々に、私たちメディアは作品の魅力をどう伝えるのが良いのでしょうか?
宮島さん:観た人の感想がそれならそれでいいと思います。そのまま離れてもいいし、不思議に思えば考えればいいし。アートっていうのは自由なものだから、観る人が作者の背景や意図やその他諸々の情報を詰め込む必要は全然ない。「想像力の翼」というのは、あるときフッと広がるものだと思うのです。たとえば仲の良い人の仕草がいつもと違って見えた瞬間があるとして、それはいつも付き合っているから気付けること。今回の作品に関しては、美術館ではなく身に着けていつでも観て、付き合えるのが良いところです。身に着けていれば、現代アートに触れたことがない人でも、どこかのタイミングできっと想像力の翼が広がりはじめる瞬間がやってくることでしょう。
水藤:この時計を身に着けて過ごすことによって、これまでアートに関心がなかった人でも観る目が養われたり、自分なりの解釈が湧いてきたりするわけですね。
宮島さん:ひと言添えるなら、ウオッチは物理的に時を刻む「ニュートラル」なもので、社会性を持っています。社会性を持った「時」というのは、たとえば人と約束するときに役立ちますよね。一方で、それぞれ個人の中で自分が作り出した「パーソナル」な時の流れというものもあり、これが作品の表現していること。このふたつが結合したウオッチが今回の作品です。
宮島さんにとっても作るべくして出来上がった一本
水藤:そういえば先生は、これまであまり腕時計をされてこなかったと伺いました。ということはつまり、先生は社会性があまり…
宮島さん:よく家内にも注意されるのですが、まぁ社会性がないんですよ(笑)。創作活動は時間や空間に気取られることなく、さまざまに発想を巡らす必要があるので、社会との関わりは絶っていた方が良いですね。でも、長く創作活動を続けるためにアトリエでの仕事は8時30分から18時までと定時を決めています。無理をすると体を壊したり、バランスが悪くなったりしますから。
水藤:「ニュートラル」と「パーソナル」の2面性を持つこの作品は、ご自身にとっても作るべくして出来上がったのかもしれませんね。
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