時計界に革命を起こした“壊れない時計”G-SHOCKの誕生秘話「最初の“壊れない”試作品は、ソフトボールくらいの球体でした」

世界に誇る日本オリジナルの腕時計「G-SHOCK」のウンチク集! 今回は「G-SHOCKの生みの親」と呼ばれる伊部菊雄氏に、初代モデル開発時の膨大な試行錯誤と壮絶な生みの苦しみを聞きました。

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伊部菊雄氏/1976年カシオ計算機入社。最初に配属された技術部・外装設計で耐衝撃構造を生み出しました。

「モジュールはケースの中で浮遊状態になります」

腕時計は貴重品で、落として傷つけないように注意深く扱っていた1980年代に、「もっと生活に根ざした、汚れひとつが思い出になる、ジーンズのような時計は作れないだろうか」と、カシオの若き技術者、伊部菊雄氏は考えました。
「腕時計は落とせば壊れるものだと思っていましたから、父に買ってもらったクオーツの腕時計も大切に扱っていました。でも、あるとき硬い床に時計を落としてしまった。当然バラバラになって、“あぁ、本当に壊れるんだ”となんだか感動しました。すぐ会社に“落としても壊れない時計”の企画書を提出しましたね」(伊部菊雄氏)
それは“とにかく作りたい”という思いが先走り、根拠なく「落としても壊れない丈夫な時計」と1行だけ書いた企画案でした。
「これでは絶対に通らないはずなのに、なぜか“じゃあやってみろ”と。大変なのはそれからでした。まずは実験環境の確保です。1階トイレの窓から落としても壊れないのは当然で、3階から下を見たとき身震いするような感覚があったので、3階の窓から落としても壊れない時計を目標に決めました。次に時計ですが、最初は時計の上下左右4か所にゴムを付ければいい、と安易な考えでした。それが、やってみるとまったくダメ。使うゴムを増やしていくうち、ソフトボールほどの球体にしてようやくモジュールが壊れなくなりました。当時は薄型の腕時計が流行していたし、そもそもこれでは腕時計のサイズじゃないですよね」
このとき初めて伊部氏は“とんでもない提案をしてしまった”と後悔します。
「モジュールを5段階にガードすると状況は前進しましたが、どこか1か所が壊れる。液晶を守ればコイルが切れ、コイルを守れば水晶が割れる。完全ないたちごっこ」
やがてG-SHOCKのネーミングが決まりました。しかし、外装設計は完全に行き詰まっていました。
「いよいよ会社も待ってくれない状況だと感じたので、自分のなかで1週間と期限を決め、1日24時間考え続けることにしました。それで結果が出なかったらお詫びして責任を取ろうと。そう決意した月曜からの1週間は本当に辛かった。土曜日の夜なんて『寝なければ朝が来ない』と、あり得ないことまで考えて(笑)。でも、結局は何も思いつかず、日曜に実験室を片づけるため休日出勤。昼食を食べて研究室の隣の公園で物思いにふけっていたら、マリ突きをしている女の子……。すると、ゴムマリの中にモジュールが見えたんです。“コレだ!”と思いましたね」
衝撃を吸収して、モジュールに伝えない構造。それにはモジュールを支える面積が少ないほどいい。
「点接触です。ケース内でモジュールは点で支えられ浮遊状態になります」
起死回生のアイデアを取り入れた試作品は、見事に3階からの自由落下にも耐えたのです。

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モジュール(内部機構)をゴムで巻いたソフトボール大の試作品。問題解決の糸口は“点接触”でした。

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