平成から令和に。筆者が思うこと――並木浩一の時計文化論

例えば永久カレンダーの“年表示”は、絶対的に西暦であるべきか

平成が令和になりましたが、いまだにすっきりしない部分があります。というのも今後も西暦と元号=和暦を並立させていくことの是非について、さほど社会的なコンセンサスがないまま、時代を転換させてしまったことへの遺漏感のようなものが拭えないのです。別にどちらがいいのか、というわけではないのですが、腕時計に関してはどうなのでしょう。

例えば永久カレンダーの"年表示"は、絶対的に西暦であるべきでしょうか。

数字だけで時間を表示することができるのは24時間が限度で、曜日は「言葉」です。中国語では曜日も「星期1、2、3」と数えていくのですが、日曜日だけは「星期天」です。現在の日本では月を1月、2月と数えていきますが、ほとんどの言語では"ジャニュアリー"など、意味と名前があります。

つまりは曜日、月のカレンダーにはテクスト、言葉が必要になってくる。ですから腕時計は、ある程度は国ごとにローカライズされるものであるわけです。いっぽう永久カレンダーの"年"は、機械式もクオーツも、西暦だけを前提にしています。

実際のことを言いますと、西暦以外の紀年法は、日本に限ったわけではありません。令和元年が始まったその日は西暦2019年でしたが、イスラム暦1440年、イラン暦1398年、ユダヤ暦5779年、仏暦2562年でもあります。実際にこれらの暦は宗教行事の日程算出に使われたり、国の公文書にも用いられています。

太陰暦・太陽太陰暦では月がずれて行くので都合が悪いのですが、中華民国(台湾)の民国暦(今年は108年)や日本の元号は、西暦と月も日も一致しています。永久カレンダーの年表示の数字だけを変えてしまっても不都合はない。令和で「01年」を表示するパーペチュアル、どうですか。そもそも日本製のカレンダー付き時計では、曜日を漢字と英語で切り替えられ、輸出用も、英語と現地語の切り替え可能をスタンダードとしてきました。それぐらいの"ローカリズム"はあっていいでしょう。

日本の元号はいずれまた変わるのですが、実は神武天皇が即位したとされる年から数える「皇紀」というのがあり、今年は皇紀2679年です。月の呼び名は日本でもかつてはあり、睦月・如月と続くその順番を、「無興三味婦鼻が獅子(むきやうさみふはながしし*旧仮名遣い)」=三味線を弾く女性が獅子鼻だったので興が醒めた、などという語呂合わせで覚えたものです。アニュアルカレンダーやトリプルカレンダーでも漢字の月表示は、雅びな風情があっていいと思うのですが、いかがでしょう?

 

並木浩一
桐蔭横浜大学教授、博士(学術)、京都造形芸術大学大学院博士課程修了。著書『男はなぜ腕時計にこだわるのか』(講談社)、『腕時計一生もの』(光文社)、近著に『腕時計のこだわり』(ソフトバンク新書)がある。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・学習院さくらアカデミーでは、一般受講可能な時計の文化論講座を講義する

 

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