【時計界の偉人列伝】3大発明で腕時計を実用品に押し上げ、ロレックスの礎を築く――ハンス・ ウイルスドルフ
ハンス・ウイルスドルフ(1881年-1960年)はロレックスを率いて、1926年に「オイスターケース」、1931年に「パーペチュアル機構」、1945年に「デイトジャスト機構」という、実用的な腕時計が備えている機能の特許を取得した人物です。まだ懐中時計が一般的だった時代から腕時計の大衆化を予見して、ロレックスを創業し、時計界にも多大なる影響を与えた偉人といえます。
腕時計の発展に人生のすべてを賭けた
ドイツのバイエルン州クルムバッハで金物商を営む家に生まれたハンス・ウイルスドルフは、幼少期こそ経済的に恵まれていましたが、12歳で両親を亡くしたこともあって、早くから起業を志していました。
学校卒業後に就職した時計輸出会社で、時計のセールスマンをしながらビジネスセンスを磨き、1905年にはロレックスの前身となる「ウイルスドルフ&デイビス社」をロンドンで設立。出資者アルフレッド・ジェームズ・デイビスのサポートを受けながら、当初は実用性の高いトラベルウオッチを販売して会社を軌道に乗せました。
そのころ、ウイルスドルフが忙しい仕事の合間に考えていたこと、それは、創造的で、どの国でも発音しやすく、文字盤にデザインしやすいブランド名。世界を視野に入れて発案した名前が、そう「ROLEX」でした。こうして1908年7月2日、後に世界一有名になるブランド名が、ラ・ショー・ド・フォンで商標登録されたのです。
ウイルスドルフが始動した当時、スイス、イギリス、アメリカにはすでに名門時計ブランドがひしめいていました。後発ブランドのひとつにすぎなかったロレックスの前身会社が正面から対抗していくには、あまりにタフな状況。そんなとき、この若きドイツ人実業家は、兵士たちが腕時計を必要としていることを知ります。一方、自動車や飛行機が世に広がり始めた時代でもあったため、瞬時に時刻が確認できる腕時計の利便性が求められていたのも事実でした。
頑丈で実用的な腕時計を作ることに将来を賭けたウイルスドルフは、さっそくムーブの精度向上に取り組くみました。まずはスイスのビエンヌのエグラー社とムーブの卸売権を持つ代理店契約を結び、供給元を確保。次の難題は、精密なムーブを湿気や埃から守ることでした。そこで目を付けたのは、ロレックスと関わりの深いオイスター社の開発した防水ケース。金属の塊からくり抜いたケースに、ねじ込み式のリューズと裏蓋を組み合わせたのです。
そして1926年、ロレックス社としてオイスターケースの特許を取得。腕時計が実用品として、次のステップへと進んだ瞬間でした。
インタビューに答えなくても、ロレックスの時計が物語っている
最初のロレックス伝説は、このオイスターケースに由来したものでした。ロンドンの速記記者だったメルセデス・グライツ嬢は、ドーバー海峡遠泳横断に挑み、見事に達成しました。グライツ嬢のこの偉業にウイルスドルフは巨額の資金を投じ、彼女をサポート。同時に、遠泳する彼女にオイスターウオッチを着用させ、巧みに宣伝に利用したのです。砂や塩分を含んだ海水でも傷まないロレックスのオイスターケースモデルの防水性を、大いにアピールすることができたといいます。
1931年には自動巻き機構「パーペチュアル」が完成しました。腕時計として世界初の全回転方式で、巻き上げ効率を飛躍的に高めただけでなく、手で巻き上げる必要がないため、リューズのねじ込み忘れによる浸水も防ぐことができました。
1929年に誕生した角型時計「プリンス」の成功もあって、1930年代から急速に知名度を高めたロレックスは、ブヘラなどスイス国内の一流販売店でも取り扱いがスタートし、1940年代以降は南米や北米マーケットにも進出。そして1945年11月24日、創立40周年パーティで高らかに発表されたのが、同名の機構を搭載する定番のドレスウオッチ、「デイトジャスト」でした。
こうしてウイルスドルフが理想とした実用時計は、オイスターケース、パーペチュアル機構、デイトジャスト機構というロレックス3大発明によって、いちおうの完成をみたのです。
1960年、トリエステ号とともにロレックスの特別試作ダイバーズが1万916mの最深度防水記録を達成した半年後の7月6日、ウイルスドルフはジュネーブの別荘にて静かに息を引きとりました。79年の生涯を通して、マスコミの取材を受けなかったといいます。ですが彼の哲学は、市場に流通するロレックスの商品が何よりも雄弁に語っているといえるでしょう。