元・五輪代表トライアスロン選手の山本良介選手の腕に輝く時計とは?

様々なジャンルで活躍する人の腕には、相応に思い入れのある腕時計がまかれているもの。今回は、元・五輪代表で現役のトライアスロン選手である山本良介選手にお気に入りの時計と、その半生についてインタビューをしました。“新たなことにチャレンジする”多くの挫折を経験した山本選手が、現在の競技に打ち込む上で最も大切にしていること。彼の手元には、挑戦を忘れないための腕時計が輝いていました。

トライアスリート・山本良介選手
トライアスリート・山本良介選手

「挫折の多かった人生ですがさらにチャレンジしていきたいです」

トライアスロンは最も過酷な競技のひとつだ。水泳1.5㎞、自転車40㎞、そしてマラソン10㎞の合計51.5㎞を1人の選手が連続して競い合う。この競技にチャレンジする山本良介は常に「チャレンジ精神」を心に持っている。
37歳の今年、リオ五輪の選考には惜しくも漏れたが、それまでの人生においても様々な試練に遭遇した。それらの挫折を乗り越えて今があるのだ。
小学生の頃に通ったスイミングスクールでなにげなく泳いでいたら京都で一番になった。その頃から将来は五輪に出場しようと決めていたという。長距離走でも京都で優勝した。ところが中学に入ると水泳もマラソンも思うような成績が残せなくなる。

中学生で挫折を味わい、18歳まで したいことがなかった

「やっぱり自分はスポーツで勝負をしたい」と思い、スイミングクラブ時代の恩師に相談したのだという。そこで勧められたのがトライアスロンだった。
新人選手発掘の全国認定記録会で、水泳とマラソンの2種目で、19歳以下の全国トップタイムを叩き出した。その3か月後、琵琶湖で行われた大会でトライアスロンデビュー戦を向かえ、当時の日本代表選手よりも先着して周囲を驚かせた。そして、18歳以下のジュニア大会で優勝し、ジュニア日本代表に選出される。まさに順風満帆といったふうであるが、現実はそう上手くはいかなかった。オーストラリアで行われたジュニア世界選手権では、完走選手の中で最後尾であったのだ。
「あのときは、最後は全然足が進みませんでした」
スピードだけではダメで、持久力も要求されることを身を持って知ったという。プロチームの練習生として競技に専念したが結果が出ず二十歳の時に一度引退。その一年後シドニー五輪を観戦に行ったところ、戦ったことのある選手がスポットライトをあびていた。鳥肌が立った。今度は競技を諦めなかった。帰国後、山本は一念発起。母子家庭であった彼は、一年間だけ家にお金をいれずに頑張るという、まさに背水の陣でトライアスロンに臨んだのだ。これが実を結び、辛い練習に耐えて日本代表になった。
北京五輪では、アジア選手権で優勝して参加資格を得たが、

「出場権を得たことに満足してしまい、選考会から五輪までの取り組みを失敗してしまいました。本番は全然ダメでしたね。自信を持ってスタートラインにつくことができず、チャレンジ精神を忘れていたと思い知らされました」
ロンドン五輪で補欠になったことでやめようと思ったが、トライアスロンを忘れることができなかった。今は、東京五輪にチャレンジしようと心に決めているという。

みんなが知っている時計ブランドよりも、

こだわりがあって新しいことにチャレンジする

ロマン・ジェローム スペースインベーダーズ 270万円(世界限定78本)
ロマン・ジェローム スペースインベーダーズ
270万円(世界限定78本)

その彼は、ロマン・ジェロームなどのブランドを持つオールージュ社とサポート契約をした。

「みんなが知っている時計ブランドよりも、こだわりがあって新しいことにチャレンジするところが、僕とオールージュとの共通項ですかね」
オメガの古い時計は母親が二十歳の時、海外旅行の土産で祖父に買ってきたもの。それを数年前に譲り受けたという。
「古い物と新しい物を身に着けて、挫折の多かった人生をさらに乗り越えてチャレンジしていきたい」
山本は真夏の過酷な練習後にも関わらず爽やかに答えてくれた。

左からロマン・ジェローム、ミッシェル・エルブラン、オメガ
左からロマン・ジェローム、ミッシェル・エルブラン、オメガ

 

やまもとりょうすけ/1979年5月17日生まれ。京都府出身。トライアスロン選手。
キタジマアクアティクス所属。競技を始めた高校3年生時にいきなり日本ジュニ
ア選手権で優勝。北京五輪などに出場。

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