テンプの動きが文字盤側から楽しめる「ハートビート」の設計を世界で初めて考案するなど、フレデリック・コンスタントは創業30年ほどで数多くの偉業を成し遂げてきました。こうした躍進を2002年から支えてきたのが、“ブランドの頭脳”ピム・コースラグ氏。フレデリック・コンスタント躍進の原動力となっている彼が初来日したタイミングで、話を聞くことができました。
「自社製ムーブメントを作れるか?」
その問いかけに彼だけが手を挙げた
フレデリック・コンスタントは、以前にも述べた通り、新興ブランドとは思えないスピード感をもってユニークな時計を開発し続けてきました。なかでも時計界におけるブランドの地位を一気に引き上げたのが、ハートビート マニュファクチュールです。このムーブメントを設計した人物こそ、ピム・コースラグ氏。意外にも初来日という彼に、初の自社ムーブメントを開発するに至った経緯から、最新作のフライバック クロノグラフ マニュファクチュールの製作秘話まで、詳しく話を聞きました。
−−フレデリック・コンスタントの最初の自社製ムーブメントは、あなたが設計したものですよね? どのような経緯で任されることになったのですか?
私が時計学校に通っていた2001年、フレデリック・コンスタントに訪れた際に、創業者のピーターにこう問いかけられました。
「誰かうちで自社製ムーブメントを作ってみないか?」
と。そこには15名ほどの学生がいましたが、唯一手を挙げたのが私だったんです。正直なところ、できるかどうか不安はありました。それでも「やってみたい」という気持ちの方が強かったんです。
在学中から構想を練り、卒業後フレデリック・コンスタントに入社しました。

−−新規設計に際して、創業者ピーター・C・スタース氏から具体的な指示や注文はあったのですか?
ピーターから受けた注文は、「6時位置にハートビートを持ってくること」でした。これは、汎用ムーブメントをベースにしていたハートビートのテンプが12時位置にあることに由来しています。
ハートビートのデザインは1994年にフレデリック・コンスタントが世界で初めて考案したものですが、惜しいことに特許を取らなかったんですね。その後、似通ったデザインの製品が多く世に出てきたことは、皆さんご存知の通り(笑)。これを自社ムーブメントではガラッと変えたい、ということで6時位置にテンプがくるような設計が必要だったわけです。
また、汎用ムーブメントではテンプの位置がどうしても裏蓋側になってしまうため、テンプを輪列が挟み込むような設計にして文字盤側にする工夫を施しました。

後編は12月22日17時に公開します。
フレデリック・コンスタント公式サイト https://frederiqueconstant.com/ja/