時計評論家・並木浩一氏が、腕時計が持つ様々な文化的意義を明かす人気シリーズ。今回は「フランコフォン」から見る時計の歴史について考察してもらいました。
フランス語を忘れてはいませんか?
今年のバーゼルワールドが終幕したのは3月27日のことでした。同日、ウクライナに敗戦したハリルホジッチ・サッカー日本代表監督の解任のニュースを、帰国後の時差ボケのなかで聞きました。直撃インタビューを受ける前監督の怒りがクリアに伝わってきたのは、バーゼルでフランス語のシャワーを散々浴びたからかもしれません。
スイスには4つの公用語がありますが、著名な時計ブランドはほぼフランス語が話されている地域に集中しています。オーデマ ピゲやジャガー・ルクルトなどの高級時計ブランドで有名なジュウ渓谷は道一本でフランスと繋がっています。スイスまで毎朝国境を越えて出勤してくるフランス人も、実は珍しくありません。その道をフランス側に60キロ進めば、ブザンソンの街に至ります。
フランスを代表する時計造りの街であり、ブザンソン天文台ではクロノメーター検定も行っています。つまりは、ジュネーブからバーゼルに至るスイス南西部と、そのさらに西側のフランスは、時計を通じて繋がっていると言っても過言ではないでしょう。
「フランコフォン」という言葉をご存知でしょうか。「フランス語を話す人や国」を指す概念として、20世紀半ばから使われる単語です。フランス語はスイスやベルギー、アフリカの旧植民地諸国、カリブ海のハイチや、意外なところではモントリオールを中心都市とするカナダのケベック州でも公用語です。フランス語圏を束ねた国際フランコフォニー機構(OIF)は57か国が加盟し、2年ごとにフランス語圏サミットを開催します。
フランコフォンには言葉だけでなく思想や文化を共有する側面が強く、腕時計にもその名残はあります。たとえばブレゲの「タイプ」シリーズのフライバック表記は、フランス語を守っていますよね。ブレゲはスイス生まれの創業者、初代ブレゲがパリで創業したブランドであり、いまはスイスで生産されている。
フランコフォン的に、すべては筋が通っているわけです。過去のすべてのオリンピックと同様、平昌五輪でも選手の呼び出しはフランス語が一番最初でした。バーゼルでも、記者発表に登場する重要人物の母語は概ねフランス語で、それを通訳を通じて聞いています。
腕時計界には通訳、翻訳者、プレスの日本人フランコフォンもいて、時計メディアを支えています。ハリル解任については、GKの川島選手が同情的なコメントを公式ブログで表明しました。いまもフランスでプレーする川島選手は、前監督の言葉が「わかっていたからなおさら」だと言います。日本ではいま小学校ですら英語教育熱が盛んなのですが、フランス語を忘れてはいませんか。腕時計への理解も含め、文化的に単眼にならないかと、ちょっと心配になります。
並木浩一
桐蔭横浜大学教授、博士(学術)、京都造形芸術大学大学院博士課程修了。著書『男はなぜ腕時計にこだわるのか』(講談社)、『腕時計一生もの』(光文社)、共著『腕時計雑学ノート』(ダイヤモンド社)ほか、近著に『腕時計のこだわり』(ソフトバンク新書)がある。学習院生涯学習センターでは、一般受講可能な時計論講座を開講中。
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