高級腕時計を購入する意味とは? アメリカズカップから見る機械式モデルの価値【並木浩一の時計文化論】

2017/1/22 9:00
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時計評論家・並木浩一氏が“時計を哲学する”人気シリーズ。今回はヨットレース「アメリカズカップ」と腕時計の意外な共通点を解説。そこから見えてきたのは腕時計の価値でした。

「無用の用」こそが腕時計の本質。
その意味で「究極の嗜好品」である

昨年、アメリカズカップが 日本にやって来ました。正確には前哨戦の「ルイ・ヴィトン・ アメリカズカップ・ワールドシ リーズ」ですが、それでも165年の歴史で初めてです。オメガが「エミレーツ チーム・ニュージーランド」のスポンサー、ユリス・ナルダンが「アルテミ ス・レーシング」のオフィシャルパートナーを務めています。いうまでもなくルイ・ヴィトンの冠大会ですから、腕時計との関係も浅からぬものがあります。

そして何より腕時計は、それも高級であるほど、ヨットに似て見えます。その理由は、いわゆる「実用性」や「経済効率」のくびきから離れた潔さではないでしょうか。アメリカズカップが決して昔と変わらないのは、風の力と「無私の勇気」を原動力としていることでしょう。このレースには一切の賞金がありません。勝者に与えられるのは次の本戦までの間、アメリカズカップという名の銀杯を保有する権利だけです。そのために大の大人が人生を賭け、一流ラグジュアリー・ブランドが巨費を投じるのです。

腕時計メーカーは、各チームのシンジケートに入ることを望みます。宣伝になるからでしょうか。そんなケチな了見ではないはずです。これ以上知名度を上げる必要がないブランドほど、シンジケートに名を連ねるのです。むしろ、宣伝にアメリカズカップを使うのは無粋だと言わんばかりの慎ましさです。

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アメリカズカップの挑戦者であるアルテミス・レーシングチーム。そのパートナーをユリス・ナルダンが務めます。

かつてアメリカズカップに挑んだ有名な富豪が紅茶王、サー ・トーマス・リプトンです。莫大な私財を投じながら、一度もカップを得ることはできませんでした。それは間違いなく「無益」なチャレンジでした。もし勝利したとしても、紅茶の事業にはさほど関係なく、経済的な利益にはならない。しかしこうした男気こそが、文化の推進力なのです。金を儲ける人間は、さほど格好良くはありません。格好いいのは潔く使う人間の 方です。

腕時計もまた、文化の産物です。高級腕時計は経済の用語で言えば「高級消費財」というカテゴリーに入ります。では、私たちは何を消費するのか。時間を測るという実用性だけでないことは明らかで、私たちはそこで「機械以上の価値」を消費しているのに他ならない。言い換えれば、文化的価値こそが腕時計の本質なのです。その意味では、むしろ「究極の嗜好品」と言った方がいいかもしれません。

ボルドーの銘醸ワインを飲むのは、酔うためではなく、ましてや喉の渇きを抑えるためでもありません。シャンパーニュ、 葉巻、レーシングカー、ヨット。 要らないものが欲しいものであり、実は必要である。腕時計も おそらくはそういうものなのです。この「無用の用」の心性こそが、腕時計好きの意気なのではないでしょうか。

 

並木浩一
桐蔭横浜大学教授、博士(学術)、京都造形芸術大学大学院博士課程修了。著書『男はなぜ腕時計にこだわるのか』(講談社)、『腕時計一生もの』(光文社)、共著『腕時計雑学ノート』(ダイヤモンド社)ほか、近著に『腕時計のこだわり』(ソフトバンク新書)がある。学習院生涯学習センターでは、一般受講可能な時計論講座を開講中。

 

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