SIHHでもバーゼルワールドでも、魅力的なダイヤ使いの新作メンズウオッチが続々と登場しています。
ヨーロッパやアメリカ、アジアでも広く人気のそれらが、実はあまり日本では紹介されていないことについて考えてみます。
ピアジェの4代目イヴ・ピアジェ氏と会ったとき、同ブランドの極薄ムーブメントの誕生について、興味深い示唆を語ってくれました。「ただ薄い時計を作るためではなく、ジュエリーをセットしても厚くならないことが大切だった」というのです。
その伝説的なムーブメント「9P」を奇貨として、ピアジェは宝飾時計のブランド、次いで世界的ジュエラーへと昇
って行きました。現在でも、ベゼルをダイヤが取り巻く「アルティプラノ」の男性向けモデルなどは、男の色気を引き出す極上の一本。
時計でもジュエリーであってもメンズモデルにダイヤ使いをためらわない作風は、ブランドの魅力です。
こうしたモデルが、日本ではあまりメディアに出ません。欧米の時計メディアでは、男の宝飾時計の露出はもっと多く見えます。
その後ろには「ダイヤ観」の違いがありそうです。ヨーロッパ的な感覚で言えば、ダイヤモンドは第一義的に「美の表象」です。花や月、星と同様に「きれいなもの」としてまず認識されると言い換えればいいでしょうか。
所有の可否などを考える以前に、純粋に「ビューティフル」なものとして、瞬時に受容してしまうわけです。
いっぽう日本の男性は、ダイヤモンドは「富の表象」と捉えがちです。きれいだと思っても素直に口に出せないのは、もし買うならばの検討が、鑑賞より先行してしまうのかもしれません。
このような意識のルーツは明治期の傑作小説「金色夜叉」にまで遡って看ることができます。「貫一お宮」の話として知られる小説の重要な小道具は、成り上りの銀行家の息子が嵌めて登場する、大きなダイヤモンドの指輪です。
貫一はそれを拝金主義の象徴とみなし、『ダイヤモンドをひけらかす男』を蔑みます。しかしお宮は、その男に嫁ぐことを決め、貫一を裏切り、熱海の海岸での有名な別れのシーンに繋がっていきます。
この物語が世に出たのは腕時計の発明と同じ頃です。日本の男は急速に流入した西洋文化と、変わりゆく価値観に戸惑っていました。見慣れないダイヤモンドを、美の表象とは見られなかったのかもしれません。
いっぽうインドでダイヤの取引が始まったのは、紀元前のことです。
世界どこでも価値が変わらないものながら、眺め方の年季が違う。ジュエリーを素直に「美」として捉えると「セットしても厚くならない」というようなフラットな言説で眺めることができ、時計選びの心も軽くなりそうなのですが。
並木浩一
桐蔭横浜大学教授、博士(学術)、京都造形芸術大学大学院博士課程修了。著書『男はなぜ腕時計にこだわるのか』(講談社)、『腕時計一生もの』(光文社)、近著に『腕時計のこだわり』(ソフトバンク新書)がある。
早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・学習院さくらアカデミーでは、一般受講可能な時計の文化論講座を講義する。
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