「平成」の機械式時計およびロレックスブームの始まりを『世界の腕時計』初代編集長が振り返る

当時、日本で唯一の時計専門誌だった『世界の腕時計』初代編集長・外山明秀さんが、「平成」をテーマに特別寄稿。機械式時計ブームについて振り返っていただきました。

機械式時計のブームが日本で起こったのはいつか?

1940年製バブルバック、Ref.2940。文字盤の上半分がローマ数字、下半分がアラビア数字の通称「ユニークダイアル」は、当時コレクターが血眼になって探すほど絶大な人気を誇った

これについては諸説あるようですが、 1980年代中期頃というのが正しいような気がします。

80年代前期にイタリアのファッション界を中心に、アンティークロレックスの人気が急上昇。その影響を受けて、日本市場も徐々に活況を示し始めました。 当時、スイス時計界はクオーツ ・ショックの大ダメージで、生産する機種数や製造本数も大幅に縮小。機械式時計の人気はアンティークが中心でした。

それまでは文具やジュエリーなどアンティーク全般を扱う骨董店の一角で販売されたアンティークウオッチですが、時計だけを扱う専門店が日本各地に誕生したのも、80年代前期~中期頃のことだったと思います。

その頃「世界中の誰もが知るステイタスブランド」として、アンティーク市場での需要は圧倒的にロレックスが主流。現在はクロノグラフ(デイトナ)の人気が高いですが、当時の日本市場では意外にもクロノグラフは不人気。私も85年前後にアンティーク店を取材で数多く訪問しましたが、「デイトナは人気がなくて全然売れない。20万円でいいから、5本でも10 本でも好きなだけ買ってくれないか?」 と相談されることが度々ありました。

日本で人気だったのは、小振りな(主に白文字盤の)バブルバック。日本のディーラーはアメリカ西海岸のアンティークマーケットに買い付けに行くことが多かったようですが、「ロレックスの程度の良いパーペチュアルなら何でも、何本でも買う!」と、"クレイジーな買い方"をする日本人が当時は殺到していたそうです。

アンティーク市場は、80年代中期から後期に向けてさらに勢いを加速。価格の推移をみても、前・中期は10万円台後半~20万円前後だったバブルバックが、後期には30~50万円台に、ユニークダイアルなどレアなモデルは200万円以上の値を付けるほどでした。

手巻きケースに自動巻きのムーブメントを搭載したため、ローターの分だけ裏蓋が膨らんだ。その形状からバブルバックと呼ばれた

 

価格の急騰によってデイトナ御殿が誕生!?

手巻きデイトナの第3世代、プラスチックベゼルの最終型。平成が始まる前年、1988年に生産終了。現在は1200万~1300万円という驚愕の相場となっている

日本、イタリア、アメリカを中心とした世界規模のアンティーク市場の好調さを受けて、それまで停滞していたスイス時計界も勢いを復活。クロノグラフ やダイバーズなど、機能性に溢れたモデルの人気が上昇。機械式現行モデル全般の生産数を爆発的に躍進させたのでした。

昭和から平成へと元号が変わる89年には、アメリカのライフ誌が「後世に残すべき101のもの」として"機械式時計"を選出しました。機械式時計のブームが、その頃には時計マニアの間だけでなく、広く世界規模 で一般向けに拡大していた何よりの証拠といえるでしょう。

日本でも、機械式時計は昭和末期頃を境にアンティークも現行モデルも人気や価格が大幅に上昇。前出の「20万円のデイトナ」ですが、88 年に従来の手巻き式が生産中止になったのを契機に価格が急騰。私の知人は先見の明があったのか、貯金など全財産をつぎ込んで十数本を購入。わずか 10 年足らずでSSモデルは100~180万円、ポール・ニューマンダイアルなどのレアモデルは200~300万円以上にも価格アップ。十数本の差益で瀟洒な中古マンションを購入し、「デイトナ御殿」と長く称されたものでした。

80年代に徐々に熟成された時計市場は、平成の幕開けとともに開花。以降、アンティークはよりプレミア化、現行モデルも多品種・高機能・ラグジュアリー化へと突き進む、まさに「時計バブル期」を迎えたのです。

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