いつの時代も男心を刺激してやまないクロノグラフ。そんな人気機構が誕生したのは19世紀でした。その後、複雑なメカニズムは驚くべきスピードで革新を遂げていき、現在に至っても進化を続けています。
腕時計型クロノグラフの誕生は19世紀に入ってから
〝秒針が 12 時位置に来るのを待たずに瞬間的に時計の動きを止め、そこから経過時間を計れないか〞。その発想を最初に具現化したのが〝クロノグラフの父〞と呼ばれるジョージ・グラハムでした。彼が1720年頃に作ったクロノグラフは、設計上1/16 秒単位まで計測可能でした。1878年にはロンジンが世界で初めて懐中時計型クロノグラフを量産。懐中時計にストラップを通したクロノグラフは、1913年にロンジン、1914年にホイヤーがそれぞれ発表しました。特にホイヤーは振動ピニオンを1887年に発明したほか、1916年に初めて1/100秒計測が可能な懐中型クロノグラフを完成させ、後にレーシングウオッチのジャンルでも数々の技術革新を成し遂げています。
1887年にホイヤー社が開発した振動ピニオン(写真下)は、クロノグラフ機構に動力を伝達する際の重要パーツ。現在のETA7750や同社の最新自社キャリバー ホイヤー01にも搭載されています。
ブライトリングが基本スタイルを確立
1915年にクロノグラフ用の独立したプッシュボタンを発明したのはブライトリング。同社は1934年に、リセット専用の第2ボタンも開発し、現代へと続くクロノグラフ操作の基本スタイルを確立しました。その後、クロノグラフは航空用、カーレース用といった目的別に進化。飛行機や車のスピードがアップすると、それに応えて計測精度も飛躍的に高まることになったのです。
写真上/クロノグラフ の専用ボタンを配した1915年製の時計。写真下/1934年にはリューズを挟んで2つのボタンを装備したモデルが誕生。いずれもブライトリングが開発。
1964年に生まれたカレラは現在まで続くタグ・ホイヤーの大ヒットモデル。「カレラ」の名は、1950年~54 年に5回開催された公道レース「ラ・カ レラ・パンアメリカーナ・メキシコ」の レベルの高さに惚れ込んで、ホイヤー家 4代目当主のジャック・ホイヤーが命名したことに由来します。
クロノグラフの代名詞ともいえる名作が誕生
1960年代には国家レベルの地球探査や宇宙開発が活発化しました。この時代に最も偉大な逸話が語り継がれているのが、オメガのスピードマスター。人類初の月面着陸同行をはじめ、アポロ 13 号の爆発事故で絶体絶命の宇宙飛行士たちを救った話は映画にもなって伝説化しました。
1969年7月、人類が初めて月面に立った時間である2時間31分40秒を刻んだ時計がスピードマスター。特製ストラップに交換しただけの市販モデル(写真下) が偉業を達成しました。
1969年はクロノグラフにとって重要なターニングポイント
三針に比べて遅れていたクロノグラフの自動巻き化は、1969年に一気に花開きます。ホイヤーやブライトリングなどが共同開発したクロノマチックと、毎時3万6000振動を誇るゼニスのエル・プリメロ、世界初の垂直クラッチを使ったセイコーが、偶然にも相次いで自動巻きクロノグラフ・ムーブを完成させたのです。
クロノグラフ機構の下層にマイクロローターをセット。 Cal.11搭載モデルは左リューズが特徴です。
クロノグラフ機構への動力伝達に水平クラッチを採用。その初代エル・プリメロを搭載した傑作モデルは現代にそのDNAを脈々と継承しています。
現代の 最新自社ムーブに数多く採用されている垂直クラッチを、最初に発明したのがセイコーです。
クオーツショックの影響を受けるも
〝デカ厚〞ブームで人気が再燃
1969年12 月、セイコーが世 界で初めてクオーツ式腕時計を発売したことで、機械式時計は不遇の時代に突入していきます。やがて1980年代から機械 式時計が工芸品として再生を果たし、2000年に前後して〝デカ厚〞ブームが起こると、世界的にクロノグラフ人気が高まります。 汎用ムーブメントのETA7750搭載モデルが各ブランドから登場して市場を席巻する一方、 ロレックスのデイトナを皮切りに、各ブランドが自社キャリバ ーを積極的に開発。現在のクロノグラフは外装デザインだけでなく、ムーブメントでも個性を競う成熟期にあるのです。