腕時計の歴史において、1983年はとても重要な年だった。ここ日本ではG-SHOCKが、はるか遠くスイスではスウォッチが誕生したのである。いまやどちらも世界的に知られた腕時計だが、その開発背景はずいぶんと異なる。G-SHOCKはカシオ計算機の伊部菊雄さんが提出した「落としても壊れない丈夫な時計」という一行の企画書から始まったのに対し、スウォッチはスイス時計界の運命を背負って開発されたのである。その後の状況について、G-SHOCKについてはご存知の人も多いだろう。だが、スウォッチの誕生から最新事情まで把握している人はどれほどいるだろうか。原宿に新しいフラッグシップストアができた今、改めてこのビッグブランドの歩みを振り返ってみたい。
TEXT/Daisuke Suito(WN)
わずか51のパーツで腕時計を作り上げる
19世紀の頃からスイスは時計大国として世界に知られていた。そんな状況を覆す出来事が起きたのは1969年。日本のセイコーが世界初となる量産型のクオーツ式腕時計「アストロン」を発表したことだった。当時はまだ高額品だったクオーツ式腕時計だが、セイコーがクオーツ式腕時計の開発によって特許権利化した技術を公開したことで、この駆動方式が世界的に普及。高精度な電池式腕時計が一気に主流になっていった。その一方で、スイスの伝統的な機械式時計は1970年代のうちに衰退の一途を辿っていたのである。スウォッチの公式発表によれば、わずか数年のうちにスイス製腕時計の輸出額は半減し、50%を超えていたスイスの市場占有率も15%へと減退していたという。
そうした状況を打破すべく立ち上がったニコラス・G・ハイエック氏は、やがて世界最大の時計グループとなる「スウォッチ グループ」の設立とともに、1970年代から計画を進めてきたというグループの根幹ブランド「スウォッチ」を1983年に発表したのだった。
同氏がスイス時計産業を復権すべく手がけた腕時計は、“セカンド・ウォッチ”という発想をもとに作られた、わずか51のパーツで構成されたクオーツ式腕時計。製造体制までオートメーションで合理化されたシンプルな腕時計は、プラスチック素材とともに驚異的な低価格を実現したほか、ユーザー自身が電池交換を行える設計など、腕時計のスペシャリストとしての知識と経験を総動員して“誰もが気軽に使えるスイスウオッチ”を作り上げたのである。
時代の先を見据えた革新的な開発をいまなお継続
この革命的なフォーマットを元に、スウォッチはあらゆるバリエーションを展開。コレクター心をくすぐる高品質な腕時計は、世界各地でリピーター続出の大ヒットを記録し、スイス時計産業の復興に貢献するに至ったのである。
このように歴史をなぞると、スウォッチは熱心なコレクターの多い、スイス製ファッションウオッチという印象になってしまうかもしれない。だが、本当の意味で注目すべきは51のパーツで腕時計を作り上げたという革新性こそがスウォッチの真髄である。この51という数は、近年において「システム51」なるコレクションに搭載されるムーブメントでも適用された。驚くべきことに「システム51」は、機械式時計(しかも自動巻き)で80時間ものパワーリザーブを有しながら、わずか51のパーツしか持たないムーブメントなのだ。
外装面でも同じく独自の研究開発を進めており、昨年、今年とバイオ素材を原料に用いたケース素材を発表。1983年からブランドを支えてきたプラスチックを、これから自然由来のものへと置換していくことの表明は、今の時代にとって必要な取り組み。とはいえ、スウォッチのコストを維持しながら新素材へ移行するには大変な企業努力があったことだろう。
スウォッチとは、創業当初の“セカンド・ウォッチ”の定義を自ら広げ、もはや一部の概念となった。このブランドのタイムピースは、スイスウオッチのエントリーであり、コレクターアイテムであり、カルチャーやアートの表現物であり、最先端技術を用いた工業製品でもある。
もしスウォッチを「過去の時計」だと認識しているなら、その考えは今すぐ改めた方が良い。少なくとも、最寄りのスウォッチ取扱店で最新コレクションを眺めれば、誕生約40年にわたって果たしてきた進化を知ることができるだろう。それと同時に、「時計趣味」の人がなぜ何本も時計を集め、それら一つひとつについて多くを語ることができるのかも、きっと理解できるに違いない。
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