<取材協力>
ブランパン(BLANCPAIN)
「時計産業のゆりかご」ーー。スイスの北エリア、フランスとの国境に近いジュウ渓谷はそう呼ばれている。理由は、時計産業が根付き、時計文化を創出し、そして今なお伝統を守り続けているからだ。今回、ここを創業地とし、現在も拠点を置く【ブランパン(BLANCPAIN)】のル・ブラッシュ工房を訪問する貴重な機会を得て、“ゆりかご”から生み出された至高のコンプリケーションウオッチ「グランド ダブル ソヌリ」に触れた体験を綴る。
伝統とは、技術と哲学を紡ぐストーリー
深い森と渓谷が続き、冬には氷点下30℃を記録することもあるというジュウ渓谷は、ヴォー州に属するジュラ山脈南端の一帯を指す。ここにはブレゲ、オーデマ ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタン、ジャガー・ルクルトといった超一流のメゾンの重要施設が集まっている。現存する時計ブランドとして世界最古の存在となるブランパンは、このジュウ渓谷で最も歴史と権威、そして技術を備える一社だ。

↑ローザンヌからジュウ渓谷へは、深い森林の険しい山道を進む。写真は森が抜けた場所からレマン湖を臨んだところ
ブランパンが技術的に高く評価されるきっかけとなった歴史について、まずは触れておきたい。1970年代、スイスの時計ブランドの多くがクォーツウオッチの台頭によって苦境に立たされることとなり、廃業や解散に追い込まれた。ブランパンもこの“クオーツショック”の余波によってムーブメント製造のみに徹するなど影響を受けたが、スイス時計をラグジュアリー産業に押し上げることに寄与したキーパーソンであるジャン-クロード・ビバー氏と、名門ムーブメント会社のフレデリック・ピゲが連携し、同ブランドを復活させることに奔走。見事、甦らせた。
復活の狼煙を上げる際に宣言したのが、代々引き継いできた機械式時計の伝統を絶やさぬビジョンだった。これを体現し、スイスにブランパンありを示したのが「シックス・マスターピース」だ。1980年代前半から後半にかけて、「コンプリートカレンダー ムーンフェイズ」「ウルトラスリム」「パーペチュアルカレンダー」「ミニッツリピーター」「スプリットセコンドクロノグラフ」「フライングトゥールビヨン」という、6つの複雑機構をそれぞれ搭載する機械式コレクションを段階的に発表した。これらは世界中の時計コレクターを熱狂させ、ブランパンだけではなくスイス時計全体の価値を高めることに寄与したのだった。そしてここで培われた技術やクラシックスタイルは、現在ヴィルレコレクションへと継承されていることは語るまでもないだろう。
「シックス・マスターピース」や「1735」を超える衝撃
ブランパンは「シックス・マスターピース」だけではなく、世界初のモダンダイバーズウオッチ「フィフティ ファゾムス」(1953年)、当時の世界最小機械式ムーブメントを搭載したレディスウオッチ「レディバード」(1956年)、さらにトゥールビヨン、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダー(永久カレンダー+ムーンフェイズ)、スプリットセコンドクロノグラフを統合する30本限定のグランドコンプリケーション「1735」(1991年)など、時計史においても重要なコレクションを輩出してきた歴史がある。スイス屈指のマスターウオッチメーカーを擁するメゾンとして、その実力を披露してきたのだ。
前置きがやや長くなったが、今回発表された「グランド ダブル ソヌリ」は、これらの総合的な技術の末に開発された最高峰の“実用的コンプリケーション”と言えるだろう。その理由のひとつがサイズにある。ケースは直径47mm、厚さ14.5mm、ラグとラグの間(12時側から6時側)54.6mmという、
同類のグランドコンプリケーションと比較しても着用するに現実的なサイズに留められているのだ。さらには、この手のチャイミングウオッチでは非防水が一般的なところ1気圧とはいえ防水性能を備えているし、何より肝心な時刻表示(スマートなリーフ針とローマ数字インデックスから構成)の視認性も適切に確保されている。これらも“実用的コンプリケーション”に通じるもので、デイリーユースではないにしろ着用して楽しんでほしい、というブランパンの想いが伝わってくる。そんなブランド史上最も複雑な本機を製作するにあたり、8年もの歳月をかけて秘密裏に自社開発が行われてきたと聞く。その内部には、時計好きならば誰もが驚愕するスペックの「キャリバー15GSQ」が搭載されている。ナンバリングされた完全なるマニュファクチュールムーブメントは、毎時2万8800振動で動作し、96時間パワーリザーブを誇る。主だった機能を以下にまとめてみた。
⚫︎「グランドソヌリ」
「ソヌリ」はフランス語で「時鐘」を意味し、教会の鐘のように定時を自動的にチャイム(ハンマーがゴングを叩く音。本機はいずれもゴールド製)で報せる機能を指す。その中でも「グランドソヌリ」は毎正時と15分ごとに鳴る機能で、今回発表された「グランド ダブル ソヌリ」は従来2つの音階(低音と高音)だけでしか表現できなかったものを、世界初となる4つの音階(ミ・ソ・ファ・シ)を使って表現する。さらに、ウェストミンスターチャイム(日本の多くの学校で鳴らされているチャイム)と、世界的なハードロックバンド「KISS」のドラマーであるエリック・シンガーが本機のために作曲したブランパン メロディから選択が可能。なお、打鐘のパワーリザーブはグランドソヌリモードで最大12時間を確保している。

↑ソヌリの切り替えはケース左側面に設置されたスライダーにて行う。「Ps」(Petite Sonnerie)/「Gs」(Grande Sonnerie)/Sil(Silent)の3つからセレクトする仕組み。機械式ながら驚異的なメカニズムだ

↑8時ケース側面のプッシュボタンで、ウェストミンスターチャイムとエリック・シンガー作のオリジナルメロディの切り替えを行う。5-6時間のアルファベットが、「W」だとウェストミンスターチャイム、「B」だとブランパンオリジナルメロディの選択を示している
⚫︎「プチソヌリ」
「プチソヌリ」は、毎正時と30分ごとを自動的にチャイムで報せる機能。「グランドソヌリ」と両方を搭載している例は少なく、パテック フィリップやオーデマ ピゲといったハイブランドのトップチャイミングウオッチにだけ搭載されている。音は「グランドソヌリ」と共通。
⚫︎「ミニッツリピーター」
手動の操作で現在時刻をチャイムで報せる機能。「グランド ダブル ソヌリ」では10時ケース側面のプッシュボタンを押すことで、“時・15分単位・分”をチャイムの回数で表現する。4つの音階で表されるため、通常の音色よりも奥深さが感じられた。
⚫︎「フライング トゥールビヨン」
一般的には表裏の両方で支える構造のトゥールビヨンを、文字盤側の支えを取り除いてキャリッジをより美しく見せるデザインとしたもの。あたかも宙に浮いているような設計から命名されたフライング トゥールビヨンにも、ブランパンならではの高度な技術とこだわりが貫かれており、ヒゲゼンマイをシリコン製に、ハイビートな毎時2万8800振動を採用している。

↑アッパーブリッジがなく、ケージが宙に浮いているように見えるフライング トゥールビヨンは6-8時間のポジションにオフセット
⚫︎「レトログレード永久カレンダー」
永久カレンダーは月末や閏年による暦の大小を自動的に計算し、時計が動き続ける限りにおいて日付調整が不要なカレンダー表示機能のこと。これを「グランド ダブル ソヌリ」では、4時位置インダイアルで月と閏年(Leap Year)を、2時位置インダイアルで曜日を、そして6時位置から12時位置にかけて文字盤外周に配された半円固定リングと印象的なサーペント針で日をレトログレード式に表示する。なお、次に手動でカレンダー調整が必要なのは西暦2100年。

↑レトログレードだけでも十分に複雑機構と言えるが、超絶コンプリケーションの本機に導入させた。これもデザイン性と視認性、そして全体の小型スリム化するためのアイデアとのこと

↑各カレンダーの調整は、ラグの裏に備えられているスライド式ボタン「アンダーラグコレクター」で行う。ブランパンが開発し、特許を取得しているこの優れた技術は、「ヴィルレ コンプリートカレンダー」などで採用されているものを応用した利便性の高いもの
⚫︎安全設計の手巻きムーブメント
「キャリバー15GSQ」には5つの安全システムが組み込まれており、誤操作による損傷から内部機械を保護するというセキュリティ機能を有している。カレンダーを調整してはならない禁止時間帯(20時〜翌4時など)の解消のほか、チャイム作動中の巻き上げや時刻調整、リューズ使用中のミニッツリピーターの起動など、これらの誤操作から精密なメカニズムを守る設計が採られている。ここからも“実用的コンプリケーション”といった印象を受けた。
ブランパン史上最も高度な技術かつ芸術性を持つユニークピースが作られるまで
これらの並外れた機構を備える「グランド ダブル ソヌリ」は、1200もの設計図、開発途中に生み出された21もの特許出願技術(その内の13はムーブメントに使用)、1053個の精巧なパーツ(総パーツ数は1116個)から成り立っていると聞いた。そしてこれを組み上げて世に公開できたのは、ブランパンが誇るグランドコンプリケーションやメティエダールコレクションの製造から、ヴィンテージ時計の修復までを手掛けるル・ブラッシュの工房の存在が大きい。「ファーム」と呼ばれ、R&D部門も設置されているこのル・ブラッシュ工房には、とくに優秀な熟練時計師が集められており、日々、スイスの伝統的な手作業をベースとするハイエンドピースを生産している。当然ながら「グランド ダブル ソヌリ」には極めて高度な技術と緻密な手仕事が要求されるため、実際に製作に関わっているのはこの工房に所属している十数名。設計からパーツの製造、装飾まで全てが分業で行われている。そして組み立てに至ってはブランパンでのキャリア10年以上という、ロマン氏(写真左)とヨアン氏(写真右)のたった2名のマスターウオッチメーカーが担当。彼らの技術を持ってしても、年産わずか1本ずつ、計2本が限界だということに驚愕した。

↑「キャリバー15GSQ」には、組み立てを担当したロマン氏またはヨアン氏のサインが刻印されたプレートがセットされている。彼らへの敬意が込められたディテールと言えよう。また本機は、ケース素材や音楽をオーナーのニーズに合わせてカスタマイズも可能とのこと

↑サファイアクリスタルバックからの眺めも圧巻! 時刻表示用とチャイミング用で駆動力を分けていることがよくわかるダブルバレルも見える。前者が96時間パワーリザーブ、後者がグランドソヌリモードで12時間パワーリザーブで、各々の残量インジケーターを備えている
チャイミングウオッチとしては世界初! 4つの音階(ミ・ソ・ファ・シ)によるチャイム音に耳を傾ける
前記したように「グランド ダブル ソヌリ」は3種類のチャイム機構(グランドソヌリ、プティソヌリ、ミニッツリピーター)をひとつのムーブメントに完全統合させ、さらにノスタルジックなウェストミンスターの鐘の音とエリック・シンガー書き下ろしのオリジナルミュージックという2つのメロディーを、4つの音階(ミ・ソ・ファ・シ)を使って奏でる世界初の試みは、“革新こそ伝統”を掲げて機械式時計の究極を目指してきたブランパンだからこそ実現できたものと言えるだろう。実際にその音色を聞いた感想は、美しくも力強く、深みを感じさせるシンフォニーそのものだ。

↑上の楽譜にある2曲をコントロールする重要パーツのひとつ、「クォーターラック」(15分単位でハンマーがゴングを叩く回数を決定する役割を果たす)。「グランド ダブル ソヌリ」はこれを各メロディーごと、要するに2つを重ねて搭載している。この「クォーターラック」がメロディーのメモリ機能を有しており、8時ケース側面のプッシュボタンを押すとコラムホイールが作動して2つが入れ替わる仕組みになっている

↑美しい旋律を響かせるための工夫はまだまだある。例えば4つのハンマーと3つのゴング(ひとつは2音を奏でる)は、音質や響きの強さのような音楽的視点からも考察され、様々な素材を検証実験した結果、ゴールドの採用に至ったとのこと。これによって硬質なステンレスでは得られない奥行きや趣きを獲得できたという。さらに楽曲として聞かせるからこそ、Hz(音の高低)やdB(音の大小)での数値はあえて公表していないとのこと

↑「グランド ダブル ソヌリ」には木製プレゼンテーションボックスが付属する。この木材はヴァレ・ド・ジュウ(ジュウ渓谷)にあるリズーの森から調達されたもので、天然のサウンドボードとして響きを増幅させる効果を持つ。なおこの森で採取される木は、世紀を越えて上質な弦楽器を作るために使用されているという
〈取材を終え、振り返る〉
今回のル・ブラッシュ工房訪問を通し、「グランド ダブル ソヌリ」の製造に携わるマスターウオッチメーカーたちの技の数々はもちろんのこと、最新の製造機器を用いた高度な加工技術、幾つもの難題をどう克服してきたかの経緯など、現地だからこそ知り得ることが数え切れぬほどあり、その度に鳥肌が立つ感覚を覚えた。細部の点では、オープンワークの文字盤からも確認できるポリッシングや面取りの美しさが働きかけてくる丹念な仕事ぶり、ゴングの設定については振動数を計測できるレーザーを用いて4つの音の高さが最適に調和するために何度も検査とミクロ単位の調整を繰り返す途方もない工程、最高の音色をケース外へと響かせるためのベゼル形状(個人的にはヴィルレのダブルステップベゼルが思い浮かんだが、期せずして似たフォルムになったとのこと)を含む緻密な設計などなど、その徹底ぶりを目の当たりにし、回想の度に思わずゾクゾクしてしまう。それと同時に、ブランパンのスタッフたちの笑顔も思い出される。彼らが「グランド ダブル ソヌリ」を眺めたり語ったりするとき、決して誇った様子はなく、むしろ誕生を待ち望んでいた“ゆりかごの中の我が子”を見つめる優しい眼差しだった。8年という難産の末に産声を上げたビッグプロジェクトは、ファミリーのような雰囲気が漂うブランパン社内の結束をさらに強め、今後の活動にも活かされていくことだろう。そして何より、この「グランド ダブル ソヌリ」を幸運にも手にすることができた者が、彼らの想いを汲み、“実用的コンプリケーション”として末長く愛用していくことを切に願う。

ブランパン「グランド ダブル ソヌリ」 価格要問い合わせ/自動巻き(Cal.15GSQ)、毎時2万8800振動、96時間パワーリザーブ。18Kレッドゴールドケースまたは18Kホワイトゴールドケース(ともにシースルーバック)、アリゲーターレザーストラップ。直径47mm、厚さ14.5mm。1気圧防水。年間2本限定生産(受注)
問い合わせ先:ブランパン ブティック 銀座 TEL.03-6254-7233 https://www.blancpain.com/ja
Text/山口祐也(WATCHNAVI編集部)
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