【インタビュー】オーデマ ピゲCEO「昨年の時計市場は異常だったが本質的な価値が下がることはない」
ロイヤル オークなどで知られるスイス最高峰の腕時計ブランド【オーデマ ピゲ(AUDEMARS PIGUET)】を約10年にわたり率いてきたフランソワ-アンリ・べナミアスCEOがこのほど来日。ドバイでの新作発表イベントを終えた足でやってきた彼に、ブランドの現状と展望についてオーデマ ピゲ ブティック銀座にて話を聞いた。
Text/Daisuke Suito (WATCHNAVI) Photo/Keiichi Wagatsuma(ONE PUBLISHING)
「私たちの腕時計にはツールを超えた価値がある」
–あなたは2023年末でCEOを退任すると発表されました。CEOとしての約10年間を含むオーデマ ピゲでの約30年間、お疲れ様でした。すでに後任のCEOも決まっているそうですが、残り半年間はどのように過ごしますか?
「8月に入社する次期CEOへの引き継ぎ業務が今後の主な業務となります。彼女は時計業界やラグジュアリービジネスでのキャリアがないので、多くのことを伝えていかなければなりません。ただ、経験豊かな彼女なら大丈夫だと信じています」
–たくさんのプロジェクトが現在も進んでいると思いますが、CEOの交代で計画が変更することはありますか?
「もちろん多くのプロジェクトはありますが、彼女のやり方を尊重します。できれば私の考えを受け継いでくれたら嬉しいけれど」
–あなたがCEOとしてブランドの指揮を執った10年間で、オーデマ ピゲは飛躍的な発展を遂げました(※公表値 2011年→2022年/売り上げ5億CHF→20億CHF、従業員数1200名→2700人以上、生産本数3万2000本→5万本)。この実績についてはどう思いますか?
「実はもう一人の人物とCEOの座を争っていて、その当時に私が選考されるためにアピールしたことを最近思い出していました。私は、2008年からまとめていたブランドへの改善点や変更点などを主張したのです。それらを今改めて振り返ってみたら、ちゃんと実践していてブランドの発展にもつながっていましたよ」
–10年間で取扱店舗を5分の1程度まで縮小したのもその一環でしょうか?
「私のCEO就任以前は製造本数に対して店舗数が多く、マーケットが望むような製品の供給やユーザーの方々の把握が難しい状況でした。問題解決のためには、展開店舗を絞り込む必要があったのです」
–確かに店舗数が多いと、人気モデルの割り当てなどのコントロールが大変そうです。とはいえ品質を保ち続けながらの増産は難しいし、特定品番だけを作り続けるわけにもいきませんよね。それがまた多くの人を熱狂させる要因でもあるのですが。ちなみに最近の中古市場の高騰はどのように見ていますか?
「中古市場に関しては、昨年の高騰ぶりは本当に異常事態だったと思いますね。今は少し落ち着いてきましたが、そのまま腕時計の価値が落ち続けるということはまずあり得ません。とくに私たちのタイムピースは、あらゆる職人が十分に時間をかけ、多くの手作業によって作られています。そこには、腕時計というツールとしての存在を超越した魅力があるのです」
正規認定中古とクライアントケア、今後の展開について
–ステータスアイテムとして定着したロイヤル オークは、日本だけでも購入希望者が途切れないでしょう。では、新品の供給が間に合わない代わりに「正規認定中古品」を扱おうとは考えませんでしたか?
「その可能性はもちろん考えていて、2024年から動きがあるはずです。多くはお伝えできないのですが、結論を言うと中古市場において私たちがプレーヤーになることはありません。もし正規店が中古品を扱うことになってもオーデマ ピゲは自社製品の動きを監督する立場にいて、価格決定などは各店舗で行うのが良いと考えています」
–時計の真贋判定は、ブランドが最も正確ですからね。クライアントケアでいうと、最近、Hi-Careプログラムに「AP カバレージ サービス(※)」というのを加えましたよね。高級時計界で類を見ない、かなり手厚い追加サービスに驚きました。
※盗難被害にあったら代替ウオッチの提供や相当額の払い戻しが受けられ、機能損傷でも修理費用負担や代替ウオッチの提供または相当額の払い戻しが受けられるAP独自の保証サービス。
「このサービスは、“海外でも安心して私たちの時計を着けたい”という日本のカスタマーの声から生まれたのです。チーフ クライアント オフィサーのマルコから具体的なアイデアが来て、私は即決しました。あの時は、『ブリテンズ・ゴット・タレント』でゴールデンブザーを押す審査員のような気分でしたね(笑)」
–私は3月にル・ブラッシュとル・ロックルの拠点を取材し、APが所有するオテルデオルロジェにも宿泊させていただきました。それぞれの施設では、働く人や環境への徹底した配慮が印象に残っています。これと似た印象を、新作「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ ウルトラ コンプリケーション ユニヴェルセル RD#4」を観たときにも受けたのですが、この時計についてあなたの意見はどれぐらい反映されていますか?
「RD#4について私がリクエストしたのは、主にサイズだけです。そもそもこの時計を作ることになったのは、ロイヤル オーク RD#2があったから。永久カレンダーをあそこまで薄くできるとわかったことがすべての始まりでした。完成したモデルについてはとても満足していて、私もオーダーしたほどです。オーデマ ピゲにいる内には手にできる予定なので、今からとても楽しみにしています」
–最後に、オーデマ ピゲはサステナビリティやSDGsなどが話題になるよりも前、1990年代から「オーデマ ピゲ財団」を設立して自然保護活動などに貢献してきました。そうした取り組みにWATCHNAVIも触発されたのですが、あなたが財団の取り組みをアピールすることはありませんでした。その理由を教えてください。
「財団の運営は、創業家一族のジャスミン・オーデマが中心となっています。彼女には“社会貢献活動とビジネスは切り離す”信念があり、私もその意思を尊重してきたのです。ただ、私はまもなく退任しますし、今後は変わるかもしれませんね」
取材後記
取材中にカメラマンにおどけた表情を向けるなど、サービス精神とユーモアを欠かさないべナミアス氏は、他社のCEOとは一線を画すキャラクターで筆者もとても好感を持っていた。それゆえ、退任の一報は大変に残念である。マーク・ロンソンやセリーナ・ウィリアムズ、アーノルド・シュワルツェネッガーに、マーベルなど、多岐に及ぶコラボレーションやプロジェクトは彼なしにはあり得なかったはず。またこれらの取り組みは“雲上ブランド”と呼ばれる限られた時計ブランドの中でも傑出したキャラクターを、オーデマ ピゲにもたらすことにも繋がった。
誰もが憧れる高嶺の花でありながら、次世代まで見据えたフレンドリーなブランドという側面も持つオーデマ ピゲは、自社の利益だけでなくル・ブラッシュの時計作りの伝統を未来に継承する使命を自らに課しているように筆者は思えてならない。こうした印象が筆者の中に芽生えたのも、べナミアス氏就任以降。ル・ブラッシュとル・ロックルという2つの拠点の増設/新設に、ホテルの所有、コード 11.59 バイ オーデマ ピゲなる新コレクションの発表、そして100年以上の時を超えて蘇ったスーパーコンプリケーション「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ ウルトラ コンプリケーション ユニヴェルセル RD#4」の完成と、ここ数年だけでも話題は豊富だった。新たなCEOにかかるプレッシャーの大きさは想像に難くないが、時計メディアとしては引き続き話題の尽きないブランドであり続けてほしいと願うばかりである。