9月初旬、かつてジュネーブウオッチグランプリにて「最優秀独立時計師」の栄誉に輝いたジャン・フランソワ・モジョン氏にインタビューする機会を得た。休暇での来日だったが、「せっかくなので」とオファーを快く引き受けていただいた氏に、これまでのキャリアと、現在ディレクターを務めているブランド「サイラス」について、話を聞いた。
Text/Daisuke Suito(WATCHNAVI)
–あなたの名前は、日本の時計ファンにもよく知られています。ただ、どのようなキャリアを持っているのか、それを具体的に把握している人は多くありません。IWCで過ごし、クロノード社を設立、サイラスに参画するに至った経緯など、あなたの経歴を改めて教えていただけますか?
モジョン氏:私の父はニヴァロックス社で働く時計師でした。ただ、私はマイクロメカニカルエンジニアリングを勉強し、ビジネス経済の学位を取得。現スウォッチ グループ内の半導体を扱う会社にてLCDなどの液晶を扱う部署で約6年間働きました。そのうち、機械式時計というスイスの伝統的な技術に触れたいという思いが徐々に強まってきたのです。時計一家に育ったことも関係していたのかもしれませんね。その頃、ドイツ語を学びたいとも考えていたので、ドイツ国境沿いの街「シャフハウゼン」を拠点とするIWCの門を叩くことにしました。時計製造のジュネーブも、スウォッチ グループのあるビエンヌも時計産業は基本的にはフランス語だったので、あまり迷うことはなかったですね。IWCで過ごした10年間はとても素晴らしい経験でした。
–IWCではクオリティコントロールとR&D(研究開発)部門の責任者でしたよね。当時を振り返って思い入れのある出来事はありますか?
モジョン氏:まず、“IWCの頭脳”であるクルト・クラウス氏と肩を並べて仕事ができたことは、本当に良い経験となりましたね。私自身のことで言うと、IWC在籍時にはいくつものキャリバーに関わりましたが、その中でもIWC初となる自動巻きクロノグラフキャリバー89000系の開発には特別な思いがあります。私がIWCに抱く“時のエンジニア”というイメージに相応しいものでした。その一方、そうしたイメージがブランドにあるため、私の考えたアイデアが却下されることも少なくなかったことも事実。だから私は10年お世話になったIWCの職を辞し、自らのアイデアを形にするべくクロノードを立ち上げたのです。
–それが2005年のことですね。仕事は最初から順調に進んだのでしょうか?
モジョン氏:最初のクライアントはウルバン・ヤーゲンセンで、デテント脱進機(※)を備えたムーブメントに彼らはUJS-08というキャリバー名を与えて発表しました。そのほかにもドゥ・グリソゴノやHYTといったクライアントとともに、ムーブメントを開発しています。ただし、ずっと順調にきていたわけではありません。2008年に起きたリーマンショックは、クオーツ腕時計の隆盛と同レベルの窮地にスイス時計産業を陥れました。私たちにもクライアントから「キャンセルしたい」「延期したい」といった連絡が次々に来る。そんななかでも、ハリー・ウィンストンから依頼を受けていた「オーパス10」を納品することができたので会社が存続できたのです。
※18世紀に考案され、主に船舶用の高精度クロックに用いられた脱進機の構造の一種。高精度を得やすい反面、扱いが難しいため広く普及はしなかった。
–確かに「オーパス10」は、2010年に発表されています。背景にそのような事情があったとは驚きました。この時計の開発が同年のジュネーブウオッチグランプリにおいて、「最優秀独立時計師」受賞へと繋がったことは想像に難くありません。そして、この年からサイラスに関わるようにもなったわけですが、その理由を教えてください。
モジョン氏:サイラス側からアプローチがあったのです。彼らの共同オーナーであるパブロ医師の患者にスイスの巨大時計グループの重役がおり、その彼からの助言をサイラス側が受けたことで結びついた縁でした。今もクロノードとして、様々なクライアントとビジネスがありますが、サイラスだけは特別。時代のニーズを読みながらもブランドとしてのポリシーに合うモデルを開発できるよう、ミーティングを重ねるなど日々緊密に連携をとっています。
–2010年のサイラス創業時よりあなたが関わったとはいえ、この13年の歴史でいくつもの複雑時計が誕生しています。垂直に設置されたトゥールビヨンは、そのデザインも含め前代未聞。こうした独創的なモデルはあなたの発案なのでしょうか?
モジョン氏:クロノードには現在35名のスタッフがおり、さらにサイラスというブランドもある。そのような中で自分だけの意見を通すことはありません。私たちは常にチームで動いており、緊密にコミュニケーションをとりながら仕事をしています。私の頭の中に様々なアイデアがあることは否定しませんが(笑)、それをサイラスやその他クライアントに押し付けるようなことはあり得ないのです。サイラスのコンプリケーションの筆頭に挙げられる垂直トゥールビヨンについても、幾度となく打ち合わせを行いました。結果、「革新の征服者」というスローガンを掲げるサイラスに相応しい一本になったと思います。こうしたトーキングピースを手掛ける一方、クレプシスの最新作となるDICEやGMTにも目を向けていただければ嬉しいですね。
–では、その新作について詳しく教えてください。とくにワンプッシュ式クロノグラフを2系統搭載したクレプシス DICEは、見た目も含めかなりのインパクトがあります。開発にはどれほどの期間がかかったのでしょうか?
モジョン氏:構想段階も含めると約3年ですね。自動巻きのベースムーブメントこそありますが、クロノグラフの開発・製造には非常に高度な技術が要求されます。それを2つも腕時計に融合させるわけですから、ある程度の時間をかける必要がありました。このキャリバーは、ベースムーブメントから秒針の軸からクロノグラフモジュールへと動力を伝達する構造になっています。GMTの方も同じく、6時側にあるスモールセコンドからGMTとレトログラード針の動力を得ています。こうしたことができるのは、ベースの設計段階から発展を見越していたから。とはいえ、クロノグラフの設計が難しいことには代わりないのですが(笑)。
–そうした困難を乗り越えて完成したDICEは、時計界でもかなりユニークな存在となりました。サイラスであればクロノードとの関係はオープンになっていますし、あなた自身や会社のシグネチャー、あるいはシークレットサインのようなものを入れても良さそうですが、そうした承認欲求みたいなものはないのですか?
モジョン氏:スイスには時計ブランドが少なくとも350以上あると言われています。その中でも傑出した見た目と革新性、他と違うものであることが、記さず、語らずとも私たちの最大のアイコンになっていると考えています。それをクライアントも求めているから、クロノードに依頼が来るのでしょう。サイラスもそうですが、私たちが手掛ける複雑時計はF1マシンのエンジンのようなもの。多くの人の手作業を経て、1リファレンスごとに最高のムーブメントを提供することが私たちの使命であり、究極を追求する中で承認欲求を満たそうとする意味がありません。私も、クロノードも、常にクライアントファースト。私たちがニーズに応えられるのであれば、サイラスに限らずあらゆるクライアントからの仕事のオファーはこれからも受けていきますよ。
取材後記
今回のモジョン氏の来日ではWATCHNAVI含め4媒体がサイラスを通じてインタビューを実施。そのほか、同氏は日本の時計愛好家グループ「TOKYO WATCH CLUB」のイベントにも参加するなど、初来日のチャンスを活かして日本のメディアや愛好家と交流を深められたとご満悦だった。筆者が面白いと思ったのは、IWCを辞す理由が「自分のアイデアを実現させる」という趣旨だったのに対し、いざ独立したら“それを自分たちが設計したとは明らかにしたくない”という姿勢である。取材現場では「ツンデレかっ!」と浅はかにも思ったが、よくよく考えればそういう職人やクリエイターは確かにいる。地位や名誉ではなく、「自分のアイデアを形にしたい」という極めてシンプルな動機。要するに「やりがい」なのだろう。
もちろんその姿勢が貫けるのは自分の知識と経験、技術に絶対の自信があるから。サイラスの腕時計がユニークな一番の理由、それはモジョン氏が絶対の自信を持って手掛けたという彼の矜持が宿っているからなのかもしれない。
問い合わせ先:大沢商会 時計部 TEL.03-3527-2682 https://josawa-watch.com/cyrus.html ※価格はすべて記事公開時点の税込価格です。限定モデルは完売の可能性があります。
取材協力:「NOMOS GLASHÜTTE + FORTUNE TIME」
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