空を愛した男の記憶はIWCのパイロット・ウォッチに継承――並木浩一の時計文化論
今年1月、コービー・ブライアントが急死されました。偉大なバスケット選手の死に、心から哀悼の意を表します。
ヘリの墜落という痛ましい事故は、もう一人の英雄の最期を思い出させました。アントワーヌ・ド・サンテグジュペリが地中海に散ったのは、1944年のことです。『星の王子さま』『夜間飛行』などの作品で知られる不世出の作家であり、操縦士。空を愛した男の記憶はIWCのパイロット・ウォッチに継承されています。また、腕時計ではないのですが、モンブランも筆記具の特別シリーズで作家にオマージュを捧げています。サンテグジュペリはいまだに、リアルなベストセラーなのです。
「空を愛した男の記憶はIWCのパイロット・ウォッチに継承されています」
日本では『星の王子さま』の印象が強いのですが、母国フランスでは、パイロットとしての経歴を尊敬する意識が強く感じられます。20代で軍に志願して操縦士となった後に民間パイロットに転じ、経験をもとにした作品で彼は文学の才能を花開かせることになります。しかもその作家が再び操縦士となり、敢えて戦いに身を投じる。ドイツ軍に占領された母国を脱出したサンテグジュペリは、亡命中のシャルル・ド・ゴール将軍が徹底抗戦を指揮する自由フランス軍に参加します。『星の王子さま』が自分の亡命先アメリカで出版された2か月後、サンテグジュペリは北アフリカの航空部隊にありました。前線の操縦士としてナチに対峙したのです。
サンテグジュペリの操縦機を撃墜したのは、独軍パイロットのホルスト・リッパートです。戦後に公共放送局ZDFの記者となったリッパートは、64年後の85歳になって初めて重い事実を告白しました。撃墜のあとで、相手が自分の愛読書の著者であったことを知ったといいます。
日本ではサンテグジュペリの著作権が消滅しているのですが、フランスでは、“殉国者(モール・プール・ラ・フランス)”である彼の著作権を、2033年まで延長する特別措置をとっています。全仏最大の空港はパリのシャルル・ド・ゴール空港ですが、第2の都市の空港は“リヨン・サンテグジュペリ国際空港”です。統一貨幣ユーロの登場直前までフランスの50フラン札は、サンテグジュペリの肖像と飛行機が表裏に印刷されているものでした。
IWCの腕時計は、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ財団との公式のパートナーシップに基づいてリリースされているものです。モンブランの筆記具も同様です。エールフランスやエアバス、それにフランス空軍も、この財団のパートナーです。特定の人間に対するトリビュートは、安易に行われるべきものではないでしょう。しかし、それ以上に思いつかないリスペクトが溢れ出るような対象であるときに、その敬意はこのうえなく、貴重で尊いものに思えます。
【時計評論家・並木浩一氏】
桐蔭横浜大学教授、博士、京都造形芸術大学大学院博士課程修了。著書『男はなぜ腕時計にこだわるのか』(講談社)、『腕時計一生もの』(光文社。今春、台湾で翻訳版発行)、『腕時計のこだわり』(ソフトバンク新書)がある。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・学習院さくらアカデミーでは、一般受講可能な時計の文化論講座を講義する。