1960年代は、機械式腕時計を製造する世界各地のメーカーが自社製品のさらなる高精度化を目指していた。同時に、アメリカなどで電池式や音叉式といった駆動方式が人気を呼び、スイスと日本では熾烈なクオーツウオッチの開発競争が行われていた時代でもある。こうした一連の流れに終止符を打ったのは、1969年のクリスマス(12月25日)にセイコーが発表した「クオーツ アストロン 35SQ」。世界で初めて市販されたクオーツウオッチにして腕時計の世界を一変させた傑作の功績を、誕生50周年の節目に再考する。
腕時計産業を一変させた偉大なイノベーション
世界で最初にクオーツウオッチの市販化を実現したセイコーは、1960年頃から水晶時計の小型化を目指していた。最初のブレイクスルーは、1964年に公式計時を務めた東京オリンピック。この大会で、初めて電子計測を導入したのである。
以降も研究開発を重ね、1969年のクリスマスには世界に先駆けて「クオーツ アストロン 35SQ」を発表。18Kゴールドでデザインされた革新の腕時計は45万円と、当時なら大衆車が1台買えるほどの高額な設定だった。それにも関わらず、発表時に用意された20本すべてが瞬く間に売り切れたという。
1969年に世界を驚かせた日本のクオーツウオッチ
このニュースは、国内外の通信社を通じて世界に発信され、国際的な反響を巻き起こした。それもそのはず、この分野においては時計王国スイスを代表するブランドが参加した電気時計研究所CEH(Centre Electronique Horloger)を筆頭に、各地で開発競争が行われていたのである。しかしながら、数多くの名門を擁するCEHでさえ、実用に耐えるクオーツウオッチが発表できたのは、翌年1970年4月のバーゼルワールドフェアのことだった。
ときを同じくして独自にクオーツ時計を開発していたのは、ジラール・ペルゴ。同社は自社製であることを強みとし、CEHが叶わなかったスイス初の量産型クオーツムーブメントを作り上げることに成功した。さらに第2世代では、周波数3万2768Hzのモデルを発表。現在の周波数の基準値の先駆けとなった。
このようにセイコーが打ち立てた世界初となる量産型クオーツウオッチの開発の裏には、世界の強豪との熾烈な開発競争があったわけだ。そして、見事に勝者となったセイコーは、GMT機能付きの年差クオーツやソーラーGPSウオッチ、第三の駆動方式「スプリングドライブ」といった最新技術を駆使した製品で、いまもクオーツウオッチの可能性を切り拓いている。
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