『世界の腕時計』初代編集長が、ロレックスのアンティークがもたらした「バブルカー」時代を回想

1980年代前半、イタリアのファッション誌が“大人の男が持つべきマストアイテム”と題し、ロレックスのアンティークウオッチを度々紹介していた。その中でもホワイトかブラックの文字盤の「バブルバック(1930年代~1950年代に製造されたオイスター パーペチュアル)」が、スーツにもカジュアルにも似合うとしてもてはやされ、瞬く間にブームは世界規模へと拡大。今回の『世界の腕時計』初代編集長による回想録は、その時代の日本市場の話である。

1930年代製のロレックス バブルバック。自動巻きのローターを格納するため裏蓋が膨らんでおり、その形状が泡を連想させることから「バブルバック」というペットネーム(俗称)がついた。参考写真

空前のロレックスブームはアンティーク人気から始まった

イタリア発のロレックスのアンティークブームは間もなく日本にも波及し、1980年代半ば以降、国内に数多くの専門店がオープンした。その時代を知らない時計ファンは、「アンティークがそんなに売れてたの?」と疑問に思うだろうが、当時の機械式時計のマーケットはアンティークが牽引していたと言っても過言ではなく、ロレックスのアンティークならどのモデルでも入荷すれば売れる時代だった。

とりわけバブルバックの価格は、わずか数年で5~10倍へと上昇。投機目的で購入してひと儲けしたユーザーも大勢いたが、もっとも恩恵を受けたのは何と言ってもショップである。当時、まことしやかに囁かれた噂では、一部の店ではロレックスのアンティークを本数の単位ではなく、“バケツ何杯”という単位でアメリカなど世界中から大量に仕入れていたと聞く。外見のコンディションが良質な個体を選りすぐって店頭に並べ、不良なものはパーツ取り用にバラしていたらしい。

バブルバックが生んだ、文字通りのバブル景気

ブームが起こる以前は、ロレックスの人気モデルのアンティークだとしても20万円を出せば買えた時代で、コレクター向けに細々と商売をしていたショップがほとんどだったが、ロレックスブームが訪れると1本の価格が80~150万円となり、月に数十本を売りさばくまでに。その儲けたるや、相当なものだった。そのため店舗の拡張や内装改修、調度品が見る見るうちに豪華になっていったのを覚えている。

アンティーク店の顧客には芸能人やモデル、TV業界人が多いせいか、オーナーたちもお洒落な人が多かった。彼らにとってのバブルが到来したことで、ファッションはハイブランド品へとグレードアップ。クルマは、それまで中古のホンダ「シビック」やダットサン「サニー」に乗っていたが、ポルシェへと買い替えた例も少なくなかった。ところで当時のポルシェと言えば、流体力学を考慮して設計されたボディがどこかロレックスのバブルバックを彷彿させる、丸味を帯びた造形が特徴だった。そのため常連の間では“バブルバックで儲けた金で買った車”という羨望と嫉妬を込めて、「バブルカー」とひそかに呼ばれていたのだった。

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