異能の次世代時計職人が語る「アクリヴィア」創業の背景と今後の展望

スイスにすごいキャリアを持つ時計師がいる。彼の名前はレジェップ・レジェピ。コソボで生まれ、家庭の事情で幼少期をジュネーブで過ごす。父親の影響で芽生えた時計に対する好奇心と情熱は、いまなお増す一方だという彼が立ち上げた「アクリヴィア」とは、どのようなブランドなのか。来日した彼に直接インタビューする機会を得た。

TEXT/Daisuke Suito(WATCHNAVI) PHOTO/Katsunori Kishida

「四六時中、時計のことばかり考えています」

レジェップさんは、1987年生まれ。ブランドを持つ時計師としてはかなり若い世代である。だが、彼の経てきたキャリアが振るっている。学生時代にインターンとしてショパールの工房に入り、間も無く研修生としてパテック フィリップへ。BNBコンセプト社を経て、2010年にF.P. ジュルヌに移籍。2012年には自身のブランド「アクリヴィア」(AKRIVIA=ギリシャ語で精度の意)を設立する。35歳にして時計界でのキャリアは実に20年。名門の第一線で活躍する選択肢もある中で、独立した理由を聞く–。

アクリヴィアのオーナー時計師レジェップ・レジェピさん。日本のアワーグラス銀座店での取り扱いが始まることになり来日した

「原体験は、父が持っていた機械式時計です。それをいつも触ったり、眺めたりしているうちに『自分でも作ってみたい』と思うようになったんです。私の生まれ育った環境では、自分の玩具は自分で作るのが当たり前。何も特別なことではありません。コソボの情勢悪化に伴い1998年から父の出稼ぎ先であったジュネーブに移り住んだとき、時計のポスターなどが溢れる空港や街の景色を見て、時計の国に来たことを実感しました。

私が時計にこれほど惹かれるのは、金属の塊だったところから1秒を刻む機械を作り出せることの素晴らしさにあります。一方で、時計は性質が異なる複雑な作業の集合体でもあります。だから私は、まず磨きの練習を始めました。それこそ磨くための道具の手入れから徹底的に磨きの腕を鍛えていったのです。いまもそうですが、本当にずっと時計のことしか考えていなかったので、最難関だったパテック フィリップの研修生も持てる技術と情熱のすべてをアピールして勝ち取ることができたと思います。

そのまま同社で技術者になったのですが、もっといろいろなことを学びたかったためBNBコンセプト社に移籍したのです。そこでは15名のスタッフを仕切るリーダーとして働きました。それと並行して何度もアプローチしていたのがF.P.ジュルヌ。何度も門前払いされましたけど、しつこく連絡を入れていたら晴れて採用が決まりました。もちろん採用試験は受けましたよ(笑)。自分でも恵まれた体験をしてきたと思いますが、『自分の時計を作りたい』という想いを持ち続けていたので、F.P.ジュルヌは自分の時計を作る前に必ず経験しておきたかったのです。スヴラン、オクタ、レゾナンスなどの製造に関わり、修理も担当しました。結果、2年でF.P.ジュルヌを辞め、自身のブランドを立ち上げることにしました。

なぜこのタイミングだったのかは自分でも上手く説明ができません。ただ、『独立するならいましかない』と直感したのです。いま振り返ると当時の判断が正しかったかもしれませんが、あの頃はかなり苦労しましたね。ブランドで働いているときから手がけてきた最初の1本を創業年である2012年のうちに作り上げ、翌年に発表したのですが、誰も見向きもしてくれなかったのです。トゥールビヨン・モノプッシャークロノグラフ「AK-01」は私が16歳の頃から作りたかった複雑時計で、もちろんクオリティにも自信がありました。『良い時計を作れば必ず売れる』と信じて疑わなかったので、本当にショックを受けました。バイヤーやメディアに時計を見せても『いい時計だと思うよ』で、終わり。結局、最初の1本が売れるまでに1年半以上はかかりました。時計を作ることはできても、その後の販売プランをまったく用意しなかったことを悔やみました。一方で、そのおかげで多くの人と出会うことができましたから、その点ではかけがえのない経験になったと思います。

2013年に発表した「AK-01」を含む初期の作品。来日に合わせて用意されたアーカイブは非売品

オーセンティックな時計への回帰が転機に

それからもしばらく複雑時計を毎年発表しましたが、本当に自分が作りたいものを見つめ直してオーセンティックな時計製造に回帰。2018年に『レジェップ・レジェピ クロノメトル・コンテンポラン(RRCC)Ⅰ』を発表しました。このモデルはいままでとは次元の違う反響があり、同年のGPHG※1のメンズウオッチ賞にも選ばれました。今回の来日に際して持参したRRCCⅡは、その進化形となります。一見すると、前作と同じように思う人がいるかもしれません。ただ、実際にはムーブメントから細部のデザインまで何もかも違うのです。ムーブメントはシンメトリー配置を徹底し、2つの香箱を並列に配置。一方は調速機構へ連なるエネルギーを、もう一方は秒針の動きのためにエネルギーを供給します。リューズを引くとハッキングレバーがテンプの縁に接触して動きを止めます。この状態のまま文字盤側を見てみると、秒針がちょうど12時の位置を向いて停止していますよね。これは偶然ではなく、いつでも0秒から時刻合わせができるようゼロリセット機構を新たに組み込んだのです。リューズを戻すと秒針が1秒単位で時を刻んで、正確な時刻を報せるのです。

アクリヴィア「レジェップ・レジェピ クロノメトル・コンテンポラン Ⅱ」Ref.RRCC Ⅱ 価格未定 手巻き(キャリバーRRCC02)、毎時2万1600振動、82時間パワーリザーブ。18KRGケースまたはプラチナケース。直径38mm(厚さ8.75mm)。カーフストラップ。30m防水。世界限定各50本

ケースは、熱心な時計愛好家には知られたジャン・ピエール・ハグマン氏の監修のもと、アクリヴィアで自社生産しています。15のパーツからなるケースは、微妙にオーバル型を形成しています。このデザインは美的な観点だけでなく、装着時の快適性にも配慮した形状を考えたたどり着いたものです。文字盤はRRCCⅠから引き続きグラン・フー・エナメルで、ローマ数字が交互に配されたチャプターリングも同様です。文字盤は、メインとなる盤面から一段下がったスモールセコンドの部分がシームレスに結合できたので、前作との絶妙な違いがフェイスからも感じていただけます。アイボリーダイアルの方は800度の熱を加えて焼き入れをして得たパープル色の針をセット。文字盤にある数字などはすべて手描きです。それ以外にも、アクリヴィアでは時計を構成するほぼ全パーツを自社工房の職人が手作業で作っています。最先端の技術にはあまり興味がありません。昔ながらの伝統的な時計作りが好きなのです」

レジェップさんが直接ケースのサイドビューの形状をスケッチで説明

レジェップ・レジェピさんが目指す今後の展望

アクリヴィアの年間製造本数は30本程度と公表されている。時計作りに必要なマシン、工具その他の設備が工房に揃っていると自負するが、小規模ブランドゆえ工房にいる職人は全員で6名。極めて高い技術力が要求される職場のため、すぐに人を雇うことは到底できず、増産は期待するべくもない。時計としての芸術的な完成度と圧倒的な希少性が世界にいる時計愛好家の収集欲を刺激し、いまやアクリヴィアの時計は入手困難な状態にある。創業時からずいぶんと環境が変わったと思われるレジェップさんに、今後の展望を聞いた。

「日本でもアワーグラスで取り扱いも決まりましたし、もっといろいろな時計を作っていきたいと思っています。それこそ妻と一緒にいる時も、考えるのは時計のことばかりです(笑)。それほど私が時計に対して愛情を持っていることを彼女も理解し、支えてくれているので感謝しかありません。私は子供の頃からの夢が叶ったいまが楽しくて仕方がないのです」

※1「ジュネーブウオッチグランプリ」時計界のアカデミー賞とも称される権威あるアワード
※2隔年で開催されるチャリティー・オークション。約50ブランドがユニークウオッチを出品し、その売上がモナコ筋ジストロフィー協会に寄付される)

問い合わせ先:アワーグラス銀座店 Tel.03-5537-7888
https://www.thehourglass.co.jp

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