スイスの時計文化において歴史的に重要な「ジュウ渓谷」は、“スイス時計産業のゆりかご”と表現されている。もしかするとそう遠くない未来、日本における時計産業のゆりかごが勃興するかもしれない。時計を愛する者たちに、そのような夢を抱かせてくれる逸材のひとりとして、この春に時計学校を卒業する岡田 樂(おかだ がく)さんと、東京時計精密のもと生まれた彼のブランド「GAKU」をぜひ覚えていただきたい。彼に処女作「テンポ・ルバート」の解説とともに、東京時計精密と描く未来図を語ってもらった。
東京時計精密の協力があって完成したユニークな卒業制作
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若者を指す「Z世代」を評する際、“多様な価値観を尊重する柔軟性がある一方で主体性に欠ける”というものを目にする。あくまでも傾向を言い表したもので、そもそも世代を一括りにすることなどできないが、新ブランド「GAKU」で時計界に打って出る岡田さんにはこの表現は適当ではない。高校卒業後に国内有数の時計専門学校であるヒコ・みづのジュエリーカレッジのインスティテュートコース(ウオッチメーカー製作)で学び、この春に卒業を迎える。もともと手先が器用だっただったことから時計の世界に飛び込んだが、ヒコ・みづのでは独立時計師・菊野昌宏さんに師事したこともあってその奥深さを知り、独立したウオッチメイキングを目標に掲げるようになった。
↑岡田 樂(おかだ がく)さん/2002年、北海道出身。地元の高校卒業と同時にヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学。今春、インスティテュートコース(ウオッチメーカー製作)を卒業する。現在は独立時計師を目指し時計製作に没頭。趣味はジャズドラム。
その非凡な才能は「HAJIME ASAOKA Tokyo Japan」および「KURONO TOKYO」の創業者にして、2024年には「TAKANO」を復活させ、AHCI(独立時計師アカデミー)会員である浅岡 肇さんの目にも留まり、浅岡さんが代表を務める東京時計精密のサポートを受けるようになる。そして岡田さんは卒業制作として、機械式腕時計型メトロノーム「テンポ・ルバート」の開発に着手。「ŌTSUKA LŌTEC」の片山次朗さんからもアドバイスしてもらうなど、およそ学生の卒業制作とは想像できぬ佳作を完成させた。そもそもメトロノームを機械式腕時計で実現しよう、という発想自体が独創的といえる。
(岡田さん)「小学校の3年生くらいから音楽をやっていた両親の勧めもあってジャズドラムを始め、高校卒業までかなり入れ込んでいました。一方で、細かい作業も好きで自分で作り上げることにも魅力を感じていたため、時計がぴったりだと思いヒコ・みづのに入学しました。ジャズドラムは今でも趣味として楽しんでいるのですが、以前から演奏直前に正確にビートのタイミングを掴めないものかと思っていました。その理由は、ジャズにはフリー・ジャズというジャンルがあるように、アドリブによる演奏がごく一般的で、セッションを組む方と演奏当日が初対面だったりすることも多々あります。ビートをつくるのがドラムの役割ですからリズムを正確に取りたいけれど、現場で大きなメトロノームを使うわけにもいきません。そこでメトロノームを腕時計にできないか、そう感じていました」
メトロノームウオッチといえばセイコーが商品化しているが、こちらはクオーツ。そのため岡田さんの「テンポ・ルバート」は時刻表示は備えていないものの、機械式腕時計型としては世界初の偉業となる。しかも、来年には時刻表示を搭載した機械式腕時計としてのリリースを目指しているというからさらに驚く。
「目下、時計として機能することを目指して開発中です。加えて、ドラムを叩く際の衝撃にも耐える仕組みやベゼルでBPM(120〜240 BPM)を設定できる構造など、このテンポ・ルバートでできた機能もしっかり搭載したいと考えています。まだまだ難題がありますがひとつずつ克服し、長く使ってもらえる信頼性の高いものを作り上げたい。そのために自分でもテストしていますが、やはりプロのドラマーの方にも着用してもらってのトライアルが必要だと感じています。音楽に携わる多くの人々に喜んでもらえて、機械式の魅力を感じてもらえる。そんな腕時計にしたいです」
「テンポ・ルバート」で驚くべき点は多々あり、メトロノーム作動中でもベゼルを回せばBPM値を自由に変更できること、ゼンマイの巻き上げをベゼルの右回転で行うことなど、メカニズムの革新性が注目される。このベゼルに噛み合う巻き上げ機構の歯車と調速機構の歯車には、とくにトルクが加わることから一般的なルビーではなく、極小のボールベアリング(ミネベアミツミ製)を使用している。これは、デザイン面で大きな影響を与えた浅岡さんによる発明を応用したものだ。さらにはドラムを叩いた際の12時方向からの衝撃を吸収するメカニズムとして、キャリッジを動かしているBPM調整用のアームのバネの代わりにギターの弦を用いているが、片山氏がムーブメントモジュールにギターの弦を採用したことにヒントを得たものである。
いずれにせよ、岡田さんのオリジナリティをもとに、日本を代表する時計アーティストの教えを乞うて実現した「テンポ・ルバート」は市販されないプロトタイプだが、計2本が制作された。2本目に関しては、制作期間わずか1か月で、さらなる構造のブラッシュアップ(例えば、スリーブの両側の仕組みを変更して剛性を高めるなど)を実施。外装の表面加工もエッジも、ムーブメントの面取りについてもさらに丁寧に仕上げられて質感が高まり、完成度が上がっている。
「テンポ・ルバートはあくまでもメトロノームが主体のため、このデザインは崩したくない。ですから時刻表示はケース側面に表現できないかと、日々考えを巡らせています。また、ジャズに限らずドラマーは暗がりでのプレイが多いですから、メトロノーム針に蓄光加工をしたいです。さらには、製品化するテンポ・ルバート以外の構想もすでに持っています。もちろん自分ひとりでは難しいですが、春からお世話になる東京時計精密の皆さんの助けをお借りしながら実現していきたいです」
岡田さんのビジョン、ポテンシャル、そしてパッションに圧倒され、間も無く展開されることとなる「GAKU」に国産時計の将来を見た。そして同時に、「HAJIME ASAOKA Tokyo Japan」「KURONO TOKYO」「ŌTSUKA LŌTEC」「TAKANO」を製造する東京時計精密が“ゆりかご”となり、「GAKU」を新たに加えたこれらのブランドは世界において、さらに存在感を高めることとなりそうだ。
GAKU「テンポ・ルバート」 非売(時刻表示搭載の市販版は2026年発売予定)
歯車やゼンマイ、テンプといった機械式時計に用いる基本構造を応用した、世界初の機械式腕時計型メトロノーム。8時位置のプッシュボタンでメトロノームのスタート&ストップを、回転ベゼルの右回転でBPMを高くすると同時にゼンマイの巻き上げを、左回転でBPMを低く調整できる。アンクルの左右の振り角が同じになるよう、ガンギ歯とアンクルのツメを設計したメトロノーム専用脱進機を開発し、搭載する。
スペック:手巻き(Cal.TempoRubato/5石+15ボールベアリング搭載)、毎時7200~14400振動(BPM120~240)、30分パワーリザーブ。ステンレススチールケース(シースルーバック)、レザーストラップ。直径39.5mm。非防水。
問い合わせ先:東京時計精密 https://pwtokyo.co.jp/
Text/山口祐也(WATCHNAVI編集部)