連載【時計パーツの源流を知る日本の旅】では、“実はこの部品、日本で製造されていた!!”といった、驚くような発見を紹介してゆく。国内外問わず時計の部品がナゼ日本で作られ、そこにはどんな技術が使われているのかについて、現場へと赴き取材する。今回も夜光塗料の世界シェアNo.1を誇る根本特殊化学の協力のもと、第1話「夜光の秘密――夜光塗料は液状ではない!?」に続く第2話をお届け。問題視されてきた放射性物質を排除した夜光が完成に至った経緯や、クリーンな夜光の凄さについて解説する。
試行錯誤を重ね、悲願の放射性物質ゼロのハイテク夜光が完成
第1話で「自発光性夜光」は、主原料の硫化亜鉛(蓄光性蛍光体)に放射性物質を混入し、その放射線によって発光の明るさや持続時間を強化していたと説明した。その放射性物質として使われていたのが、主にラジウムだった。「N夜光(ルミノーバ)」(※)が発明される以前、この硫化亜鉛+ラジウムの方式の夜光は容易に製造できる関係と、明るさや残光時間に実用上問題がなかったため、時計の夜光塗料として採用されていた。
しかしその流れが一変したのが、1954年に発生した「第五福竜丸事件」だ。第五福竜丸を含む日本の遠洋マグロ漁船数隻が、ビキニ環礁にてアメリカ軍の水爆実験に巻き込まれて乗組員らが被爆。国際問題へと発展した。この事件をきっかけに、放射能汚染による人体への悪影響や自然環境破壊について世界で問題提起されるようになり、放射性物質の規制へと動いた。当然、時計の夜光塗料に使われている放射性物質も規制対象となったことで、1960年代を境にラジウムよりも放射線量が少ないプロメチウムやトリチウムへと変更。これらはガラスやケースが間に入ることで、安全な範囲まで放射線量が低下する物質だった。
その後、プロメチウムやトリチウムを使った夜光塗料が用いられていたものの、放射性物質であることには変わりない。そのため時計業界では、放射線を出さない夜光塗料の開発が待たれていたのだった。これを完成させたのが、取材に協力してくれた根本特殊化学だったのである。
1941年創業の根本特殊化学は、戦中は航空機や潜水艦の計器などに使われる夜光塗料を製造していた。戦後、時計の夜光塗料製造に着手。1960年代には安全性に配慮した自発光性夜光(プロメチウムを使ったN夜光)を発明し、この分野で確固たる地位を築いた。そして1991年から研究を開始したのが、世界初となる蓄光性夜光である。
同社が着目したのがアルミン酸ストロンチウム(ストロンチウムとアルミニウムが主原料)に、少量のレアアースを添加して焼成加工することで、放射性物質を一切含まずに強力な蓄光性能が得られることだった。これらを原料に独自のN夜光を開発。1993年、物質特許を取得して「ルミノーバ」の商標名で登録する。この「ルミノーバ」は放射性物質を含まない安全性だけではなく、明るさは従来の硫化亜鉛タイプの10倍、夜光塗料の残光時間も10倍以上という、まさに“夢の夜光”そのものだったのだ。
環境にも人体にもクリーンな「ルミノーバ」は、たちまち時計界を席巻。従来比10倍という高性能もさることながら、とりわけ高級ブランドに称賛されたのが美しさだ。夜光塗料は粒子が大きいほど内部に蓄える光も発光量も多くなるのだが、インクや樹脂を混ぜるとザラつくような粗さが目立ってしまう。それに対し「ルミノーバ」は微細な粉末状なので塗装表面が滑らかな質感となり、混じり気のない美しい純白カラーが成立し、発光時には淀みのない鮮やかなグリーンカラーに輝くのである。
安全性、明るさ、残光時間、そして審美で群を抜く「ルミノーバ」を選択する時計ブランドは年々増加。現在では数千円クラスのファッションウオッチを除き、一流どころの夜光付きモデルのほとんどに採用されている。故に、高級時計の夜光塗料におけるシェアほぼ100%を獲得という快挙を成し遂げた。
ちなみに、スイスブランドが“スイスメイド”と銘打つために、根本特殊化学はスイスの現地企業と合弁企業を1998年に設立している。ここでスイス規格に則った専用グレードのN夜光=「Super-Lumi Nova(スーパールミノーバ)」を製造し、同年よりスイスメーカー各社への販売をスタートさせたのだった。
次回は、根本特殊化学の工場内の様子や時計以外の分野への応用について紹介。第3話「夜光塗布は芸術――高度な技術が支える無限の可能性」に続く。
※「N夜光」と「ルミノーバ」は根本特殊化学の登録商標。
文/外山明秀(トイズハウス) 撮影/我妻慶一
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