過去にも和菓子作家とコラボし、「時」をテーマとした独創の和菓子を販売するなど、時計作り以外の領域にも果敢に挑戦しているグランドセイコー。その最新の取り組みとなる「ALIVE IN TIME through the FIVE SENSES」が、9月中旬に表参道「WALL & WALL」にて3日間限定で開催された。本イベントは抽選に当選した一般応募者を中心に行われたが、WN編集部は用意されていたメディアデーにて取材を実施。最新のグランドセイコーの世界を体感してきた。
TEXT/Daisuke Suito(WATCHNAVI)
「視覚」「聴覚」「触覚」「味覚」「嗅覚」で愉しむグランドセイコーの世界
筆者が取材に訪れたのはイベント初日となる9月13日。メディアデーとのことで、筆者含む10名ほどが15時からの回に参加した。会場となるのは、表参道交差点にあるレンタルスペース「WALL & WALL」。ライブイベントなども行われるというこの場所が、当日はこの3日間はグランドセイコーの世界を表現するスペースへと変貌するという。
外階段を降りると、クロークを兼ねた受付カウンターが登場。ここで名前を告げて出席を確認。その背後、壁面にはメカニカル、スプリングドライブ、クオーツのキャリバーを分解し、整然と並べたパーツ展示を見ることができた。スイスの重鎮も唸るグランドセイコーの仕上げを、パーツ単位で改めて見るのは筆者としても久しぶりの体験だった。
グランドセイコーを識る「視覚」を刺激されたあとは、本会場へと誘う通路へと移動。数多くの青色LEDが点灯する通路に、ジュネーブウオッチグランプリの2022年度「クロノメトリー」賞を受賞した「グランドセイコー Kodo コンスタントフォース・トゥールビヨン SLGT003」の特徴的な刻音が響き渡る。ガンギ車とアンクル、テンプから生まれる小刻みなチクタク音の中で、コンスタントフォース機構から生じる小気味良く1秒を告げる「タ」という音が正確に繰り返されるサウンド。その揺るぎなく正確なテンポでループする16ビートは、かつてロックドラマー(ただし下手)だった筆者にとって、聴覚を満足させる実に居心地の良い空間であった。
通路を超えた先にあったのは、間隔を空けて置かれた3つのトレイのそれぞれに鎮座する現在のグランドセイコーを代表する4つのモデル。“白樺”“水面”“テンタグラフ”、そして34mmのクオーツウオッチだった。ここはタッチ&フィールの空間で、もちろん「触覚」を満たすための空間だ。正直、筆者はすべてを所有者未満ではあるものの一定の理解はあるつもりでもあるが、目の前に立つイケメンスタッフに気を取られてしまい、つい初めて見るような素っ頓狂な対応をしてしまったことが悔やまれる。
そして「相変わらずテンタグラフは細腕の自分には大きいな」と、改めて実感した次第。最もしっくりきたのは34mmのクオーツモデルだった。何枚かiPhoneで写真を撮り終えて満足したのだが、アテンドしてくれていた方が何度も「もっと着けたりしてくださいね」と優しく繰り返されたので、しばらく着けたり外したりを繰り返していた。このとき、彼女の真意が分かっていたら……という出来事は後述する。このタッチ&フィールのカウンターの後ろには日食を想起させるイベントのシンボルが掲げられており、そのパネルの裏に今年のウオッチズ&ワンダーズを再現したスペースがあった。それぞれの新作の演出がジュネーブで見たそれよりも洗練された気がして、さらに写真に収めて2次元化すると、まるで絵のような佇まいの1枚になった。
タッチ&フィールとウオッチズ&ワンダーズの2つの部屋を堪能するとまもなく、次の部屋へと通じる忍者屋敷の隠し扉のような回転扉が開き、高級飲食店のようなカウンターがある空間が出現した。すでに指定された席へと着席するとほどなくしてカウンターの内側に3名が登場。黒い衣装を纏った人はミシュランガイド東京2023で二つ星を獲得したシェフの長谷川在祐氏だった。その隣には、現在「KOFFEE MAMEYA -Kakeru-」の代表である國友栄一氏と同店スタッフが並ぶ。これから何が起こるのか、すっかり先までの時計鑑賞の余韻が薄れてしまった。國友氏が口を開く。「本日は、皆様が今まさに着用されているグランドセイコーのような、伝統と革新、緻密な作業の蓄積が融合した『味覚』と『嗅覚』で楽しめる食の体験をご提供いたします」(やや筆者意訳あり)。このとき、筆者はタッチ&フィールを文字通り楽しんだあと時計を外したままでいたのだが、ほかの参加者はしっかり試着した時計を着けたままの状態で着席していたのである。時計の重みという大切な余韻を薄れさせてしまったのは、他でもない自分だったわけだ。
そんな失敗を恥じる自分に呆れつつ、講釈を続ける國友氏の声に耳を傾ける。「今回、皆様にご提供するのは長谷川さんと共に考えた、和食とコーヒーのペアリングコースになります」。國友氏も語っていたが、確かに食事がメインの場合、コーヒーが求められるのは食後である。それをひと皿ごとに一杯のコーヒーが供されるというから、どのような食体験ができるのか素直にワクワクした。一品目は、コーヒーのみ。常温の水を用いて13時間半かけて抽出したコールドブリュー。使用する豆は、最近人気という「エチオピア ゲシャビレッジ オマ」だという。コーヒーもワインと同じくテロワール、すなわち産地や気候、技術によって味が左右されるそうだ。そうした話を聞きながらワイン瓶に似たグリーンのガラス容器から、透明度の高い氷が一つ入った薄口のグラスに注がれるコーヒーは、ひと口含むと豆の果実味が口腔内に広がる。確かにコーヒーではあるものの苦味や渋みは薄く、代わりに清涼感があり、フルーティ。鼻から抜ける余韻も長く純粋に美味しかったので、注がれた少量を飲み干すと思わず「おかわり」と言いたかったのだが、他に出席された方が神妙な顔で味わっていたので口を閉じておいた。
続けて出されたのは、同じ低温抽出でも今度は水ではなく牛乳を使って低温抽出したミルクブリューの説明が始まった。國友氏に後で聞いた話では、牛乳の場合は液体の油分がコーヒー豆の抽出を促進するので冷蔵庫で冷やしながら8時間程度、置いておけば良いのだという(後日、真似したのは言うまでもない)。これをフラスコにセットしたフィルターに注ぐと、こんどは長谷川氏が手がけたポン酢が続けて注がれた。フィルター内では牛乳と酸の反応で分離が始まり、フラスコの底に半透明の茶色の液体がポタポタと落ちていく。この抽出液を最後のひと皿に使うのだという。一体どのような味になるのか、期待を抱きながら、改めて2皿目にピントを合わせる。目の前に出てきたのは、トマトを練り込んだというトコロテンとじゅんさい、そしてパッションフルーツを合わせたものだった。長谷川氏はコーヒーの味わいの中にトマトに似た風味を感じたのだという。これに食感の楽しさや果実味などを考慮した結果、考案した一品だそうだ。ミルクブリューのコーヒーとのペアリングは見事で、食事は軽やかで、飲み物はまろやか。しかも、ミルクブリューのグラスには柚子のピールがなされ、グラスを口に運ぶ瞬間に割と強めの柚子の香りが鼻腔をくすぐる。その意外性を許容しながら液体が唇に届くと、その余韻を残しながらも爽やかなミルクブリューの風味に変わり、そのまま口に中を優しく回る。これに清涼感のある食事との相性は、なるほど確かに良好だと感じた。
名残惜しさを感じながらも最後の一皿へ。形を保つ程度に火の通った茄子を牛肉で巻き、円柱状にしたその上にネギや茗荷を細かく刻んだものを添えた一品は、仕上げに先ほど漉されたコーヒーとポン酢の抽出液を注いで完成となった。「難しいかもしれませんが、できればひと口で召し上がってください」と、長谷川氏が言う。その言葉に従い筆者は円柱状の料理をそのまま口に入れると、牛肉と茄子の柔らかな食感、肉の油を程よくさっぱりさせるネギと茗荷のアクセントが面白かった。何より、ミルクブリューとポン酢から抽出した液体が、それぞれの素材の旨みを引き立てているように感じた。いやむしろ、ひと口で食した後に残った液体を飲んだときの衝撃の方が強い。全体の味わいの中で、コーヒーはかなり奥まった部分にあったものの、フランス料理のソースよりもさらに味を奥深いものにしていたように感じた。コーヒーという飲み物に、これほどの気品を覚えたことはなかったかもしれない。ただし、薬味たちの余韻はやはり強い。これを抽出濃度を高め、味わいを濃くした最後のペアリングのコーヒーによって味わいが書き換えられることで、食事を終えたあとは食後にコーヒーを飲み、そのまま店を出る“あの感じ”で贅沢なひと時を終えることができた。
時計メディアではあるものの、こうした食体験ができたのは非常に貴重な機会。当選された人々はかなりの幸運の持ち主だと言えるだろう。グランドセイコーはいまとても好調だという話をよく耳にする。その背景には、日本人ならば“良い時計”の筆頭がグランドセイコーという伝統が、何世代にもわたって受け継がれているから。今回のイベントはクローズドなものなので、誰もが参加できたわけではない。ただ、和食とコーヒーのペアリングというユニークな試みを、グランドセイコーというブランドの名のもとに実現させてしまう実行力には舌を巻くばかりだ。
ちなみに、これを含め三皿がコースだったのだが、コーヒー豆はすべて同じ焙煎と挽き具合だという。同一のものをテクニックひとつで味を変化させる。それには抽出する時間ももちろん含まれている。ゆっくり、時間をかけて作られた3杯と、その風味に合わせて調理された食材のマリアージュ。それぞれの職人が丁寧に時間をかけ、細かな作業を積み重ねたペアリングのコースは、機械式時計の製造にも通じるところがある。何より、本イベントの主題である「五感」を超え、目には見えない「時間」さえも感じることができた。グランドセイコーが掲げる「ALIVE IN TIME」、時間の中を生きていることを実感する貴重な体験を通じて、筆者も丁寧な暮らしを過ごしていきたいと思い至った次第である。
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